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2013/12/10

■節子への挽歌2289:思いの先

節子
最近どうも元気が出ないのは、生きていく方向に混乱があるからだと気づきました。
以前は、いつも前を向いて生きていました。
昔話は好きではなく、そうした話が多くなる集まりへの参加は気がすすみませんでした。
いつも、新しい世界との出会いから元気をもらっていました。
いまもそれは変わりませんが、どうも私の目線が最近は前を向いていないようです。
それが、年齢のせいなのか、節子がいないからなのか、わかりませんが、前を見ようという気が失われてきていることはたしかです。

だからと言って、後ろを向いているわけではありません。
節子が教えてくれたように、いま、この時間をていねいに大切に生きているわけでもありません。
むしろ、過去はあまり思い出したくなく、いま現在の時間も、あまり身が入っていないのが現実です。

ではどこを向いているのか。
そう考えてみると、どこも向いていないような気がしてきました。
これでは気が萎えてしまうのは当然です。

新しい世界との出会いは、今も時々、その入り口に出会います。
自分では何も努力していないのですが、いろんな人が湯島にそういう話を持ってきてくれるのです。
しかし、以前と違って、その入り口から入っていこうという元気が出てきません。
これは間違いなく、節子がいないからです。
新しい世界を共有できる人がいないことの意味は大きいです。
節子がいたら、世界の広がりは楽しい人生をもたらすでしょう。
しかし、一人になった今は、どうしてもそう考えることができません。
これは論理的ではないのですが、なぜかそう思うのです。

とんでもなく面白そうな話もないわけではありません。
やってみようかと思うこともないわけではありません。
しかし、どこかで足腰に重りがついてしまったように、結局、途中で尻込みしてしまうのです。

最近、気が萎えているのは、気を萎えさせる意識が、私自身の中にあるからでしょう。
このジレンマから抜け出すにはどうしたらいいか。
まだどうも知恵が浮かびません。

なかなか元気が出てくる挽歌が書けずにいます。
困ったものです。

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