■節子への挽歌2292:アテネのような暮らし
ハンナ・アーレントの「人間の条件」を読み終えましたが、20年ほど前に読んだ時には、ほとんど理解していなかったことがわかりました。
今回、理解できたともいえないのですが。
読んでいて、また節子を思い出してしまいました。
アーレントは古代ギリシアのポリスの生活にとても好意的です。
そこでは、人間の活動は、生命維持のための労働と生活の基盤づくりのための仕事と公的領域を豊かにする活動とが明確に分かれていました。
家庭は労働の場であり、家族は主人が公的世界で自由に言論と活動が行えるように労働に従事したのです。
アテネの民主主義は、こうして労働から自由になった市民たちが言論と活動をふんだんに行えたというだけの話です。
アーレントによれば、いまの社会は、公的領域はなくなり、労働に覆いつくされた労働者社会だといいます。
挽歌編なので、許してもらえるでしょう。
まあ一つだけ追加しておけば、アーレントはこう書いています。
人間がダーウィソ以来、自分たちの祖先だと想像しているような動物種に自ら進んで退化しようとし、そして実際にそうなりかかっている。実に辛らつですが、私の今の気分にはぴったりと合います。
それは、私が一番危惧し、そこから自由になりたいと思っていた生き方ですから、
ところで、私が本書を読んで感じたのは、私が会社を辞めてから自由に生きてこられたのは、節子がアーレントの言う「労働」を一切引き受けてくれていたのではないかということです。
だからといって、節子が惨めな生活をしていたわけではありません。
節子は節子で、それを楽しんでいたはずです。
誰かの世話をすることと誰かの世話になることと、どちらが幸せでしょうか。
これは一概には決められない問題ですが、たとえば介護などの場合で言えば、答えは明確です。
介護することは大変だという人もいるでしょうし、事実、大変なのですが、それでも介護される側の人はもっと大変なのです。
大変さだけではなく、どちらが幸せかといえば、介護するほうでしょう。
もちろんこれも、人それぞれですから、人によっては異論もあるでしょう。
アーレントの議論と世話の議論は違う話ですが、私は節子に世話されてきたわけです。
私が世話できたのは、闘病生活の4年だけでした。
話がそれてしまっていますが、アーレントの難しい本を読みながらも、節子とのことが頭に浮かんできてしまいます。
そして、アテネの貧しい平凡な家族のような暮らしをさせてもらったことに、改めて感謝しています。
私が40代から、賃仕事などせずに、自由に生きてこれたのは、節子の支えがあればこそでした。
それがなくなった今、生きづらいのは当然のことなのです。
少しは、生きるために必要な「労働」をしなければいけません、
| 固定リンク
「妻への挽歌12」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2400:怠惰な1日(2014.04.07)
- ■節子への挽歌2399:自分のための日(2014.04.06)
- ■節子への挽歌2398:第4期のはじまり(2014.04.01)
- ■節子への挽歌2397:菜の花は食べられてこそ喜ばれる(2014.04.01)
コメント