■節子への挽歌2300:節子の実家
節子
いま気づいたのですが、和室の床の間に節子が作った木目込み人形が置かれています。
一時期、節子は木目込み人形づくりにはまっていて、いろいろと作っていましたが、人形は魂を持ち出すので、私はあまり好きではありません。
娘のジュンも、そうなのですが、そのせいもあって、わが家では人形はあまり見えるところには置かれていないのです。
多分、これが唯一の例外でしょう。
それは、床の間の真中にどんと置かれています。
節子が元気だった頃は、床の間に物を置くことはありませんでしたから、節子がいなくなってから、私か娘の誰かが置いたのでしょう。
なぜでしょうか。
しかもその横に、なんだかよくわからない人形が3人並んでいます。
まあ、それらは魂を持ちそうもない人形たちですが。
人形ではありませんが、わが家には今も、節子の手によるものが、いくつかあります。
そうしたものが、まだ節子の雰囲気を発信しているわけです。
家は、そこに住んでいた人の心を宿しています。
その意味で、家族をつなげていく大事な役割を持っています。
結婚した頃、節子と一緒に節子の生家に戻った時に驚いたことがあります。
いつもの節子ではない節子を感じたのです。
正直のところ、最初はとても違和感を持ちました。
私たちの家にいる時の節子と、生家にいる時の節子は、明らかに違うのです。
私は「実家」という言葉が嫌いでしたが、その時に、なぜ「実家」と言うかがわかったような気がしました。
だからこそ、その後は、ますます「実家」という言葉は私にはタブーになりました。
私たちがいま住んでいる家こそが「実家」でなければならないと思ったからです。
ところが、滋賀の節子の生家が建て直されてから、状況は変わってしまいました。
節子は気づいていなかったと思いますが、そこでの節子はいつもの節子だったのです。
わが家は10数年前に転居しました。
節子が土地を探し、家族みんなで設計し、新築した家です。
節子にとっては、暮らした期間から言えば、決して長くはありません。
転居前の家のほうが長かったでしょう。
しかし、この家には節子は愛着もあり、思いも深かったと思います。
節子は、もっとこの家で暮らしたかったのです。
私に、そう言ったこともあります。
だから節子の魂も、この家に今なお強く宿っているはずです。
思い当たることはたくさんあります。
いまもきっと、節子はこの家に住んでいるのでしょう。
ここが、節子の実家になったわけです。
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