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2013/12/02

■節子への挽歌2281:ピュシス

昨日の挽歌に山陰さんからコメントをもらいました。

佐藤さんがおっしゃる
>今の私の生き方は、いかにも「投げやり」の生き方です。
まったくそんなことはないと思います
投げやりというのは、言い換えれば「自然流」ではないのでしょうか
山陰さんのフォローはうれしいのですが、最近の私の生き方は、正直、少し、いやかなり、「投げやり」なのです。
でも、それはそれとして、「自然流」もまた、私が大切にしている生き方です。
それで、今日仕入れた、知識をひけらかしたくなりました。
アリストテレスによれば、人間には、それぞれ、固有の「ピュシス(自然)」があるという。ピュシスとは、魂(プシュケー)の元となる素材である。そのピュシスにしたがって、私たちが「魂の最もすぐれた機能」を満たすならば、それがすなわち「幸福」であり、また「善」といわれる。
これは、たまたま今日、読んでいた「ロスト近代」という本に出てきた言葉です。
今日は、風邪なので何もやることがなく、机の上に積んでいた、この本を読んでいました。風邪の時は、もっと軽い本を読みたかったのですが、適当な本がなかったのです。
風邪のせいで、かなりとばして読んでしまいましたが、最後のほうに出てきた、この部分だけはなぜかすんなりと頭に入ってきました。
プシュケーは知っていましたが、その元になる固有の「ピュシス(自然)」が、人にはそれぞれあるということを初めて知りました。
そして、そのピュシスを活かして生きることが「善き生」であるとアリストテレスは言っているのです。
私には、実に好都合な考えです。

ピュシスについては、もう少しきちんと調べてから、書くべきなのですが、今日は風邪なので、まあ調べるのはまたにしましょう。
ともかく、自然に生きるのは決して悪いことでもないのです。
ところで、私に固有なピュシスとは何でしょうか。
もしかしたら、「投げやりに生きる」のが私のピュシスかもしれません。
家族からは、「思い付きで生きている」と言われていますし、私も実際に「思いつき」を大事にしています。
「思い付きで生きている」「投げやりに生きる」「自然に生きる」。
さて、どう違うのでしょうか。

やはりアリストテレスのピュシスを調べる必要がありますね。
風邪のせいか、支離滅裂なものになってしまいました。
風邪を引いたら、本など読まずに、きちんと休んでいないといけませんね。
それが出来ない性格なのです。
困ったものです。はい。

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妻への挽歌12」カテゴリの記事

コメント

佐藤様  こんばんは

私は最近、パソコンの電源をoffにする際には、「節子への挽歌」を必ず拝見することにしております。
風邪の辛さに耐え、本をお読みになるとは、シニアの強さを感じます。

私は哲学などは遠いところに鎮座している門外漢のような人間ですが
ピュシス(魂の元)についてお調べになった時は、また続きをお聞かせください

佐藤さん、「思いつきで生きる」人、「投げやりで生きる」人は、並みの人ではないように思います。
このような生き方の出来る人は、タイトロープのような、言ってみればサーカスの綱渡りにも通ずるような生き方

しかし、このような方は、他人からは危なっかしく見えますが、大失敗はしない生き方のように思えます。

そして、タイトロープのような人生を歩まれる佐藤様に縁ある方からは、大いなる魅力だったのではないでしょうか


投稿: 山陰太郎 | 2013/12/03 01:06

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