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2013/12/01

■節子への挽歌2280:これからの人生に必要ない物

節子
風邪を引いてしまいました。
箱根の合宿で、ちょっと調子がおかしいと思ったのですが、案の定、風邪のようで、合宿からの帰路の予定を変えて帰宅しましたが、ダウンしてしまいました。

会社勤務時代に私のアシスタントだった女性から手紙が来ました。
今年、ご主人も定年で会社を辞め、人生の見直しに入っているようです。
もうそんな歳になったのかと感慨深いです。

彼女の手紙に、「これからの人生に必要ない物の処分にとりかかっている」と書いてありました。
しかし、それがなかなか進まないようです。
持ち物を処分するということは、ある意味では過去を捨てるということであり、同時に未来も捨てるということです。
もうこの資料や記録はいらないということは、これからの人生にはもう縁がないということだからです。
それはかなり思い切った決断が必要です。
私も、何回か、身辺整理に取り組んでいますが、いつも失敗しています。

ところで、「これからの人生に必要ない物」という表現がとても気になりました。
私がうまく身辺整理できないのは、これからの人生が展望されていないからだと気づいたのです。
逆に言えば、身辺整理とは、これからの人生を考えることなのでしょう。
その自覚が不足していました。

節子がいなくなってから、私の場合は時間が止まってしまった気がします。
それは、これからの人生を封じ込めたということかもしれません。
だとしたら、身辺整理などできるはずもないわけです。
たしかにそう考えると、今の私の生き方は、いかにも「投げやり」の生き方です。
少し自分自身のこれからの生き方を考えなければいけないのかもしれません。
私には、とても不得手なことなのですが。

「新しい人生のスタートと思って、今まで溜め込んできた物を少しずつ減らしながら生活していきたいと思います」と最後に書いてありました。
私はどうも、新しいスタートをきりそこなったのかもしれません。

風邪のせいか、どうも気分が軽くなりません。

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コメント

佐藤様

風邪を惹かれたようですが、大丈夫でしょうか
シニアにとっては風邪は大敵となることもあります故、ゆっくりとご静養下さい。

私は幸いにも「バカ」な人間ですから、風邪も寄ってきてはくれません
喜んでいいのか悪いのか、よく分かりませんが・・・

佐藤さんがおっしゃっる
>今の私の生き方は、いかにも「投げやり」の生き方です。
まったくそんなことはないと思います

投げやりというのは、言い換えれば「自然流」ではないのでしょうか
世の中、思ったようには生きられない場なのかもしれません
無理に変えようとしても、人の力では何も出来ない諸行無常の世界

過去も現在も、不必要なものをいくら処分しようが、心は何も変わりませんでした。
それでも、不必要なものを処分すれば、そこに未来が来てくれる場が少しできたような気がします。

私の未来に、夢や希望などという大それたものはございませんが、目的だけは見失わないようにするつもりです。
佐藤さん、私は心がひん曲がっております
肉体は消滅したあとも魂だけは生き残っているんじゃないかと、そんな馬鹿なことを信じたいと願って生きております。

もし、そうでなければ私ひとりでは「目的」に向かう勇気など、これっぼっちもない小心者
このような夫を持った妻は、いまだに成仏できず、日々「心配」で落ち着いてはいられないでしょうが
「縁」というのは、「腐れ縁」というのも縁ですから、妻も観念してくれていると思います。

この世で溜め込んだものなど、あちらでは何の役にも立たないでしょうね

私はたいしたものは溜め込むことは出来ませんでした。なので、捨てるものも何もありませんが・・

投稿: 山陰太郎 | 2013/12/02 06:08

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