■節子への挽歌2301:元気が出てこない年末
節子
節子がいなくなってから、私の生活は極めてストイックになりました。
節子がいた頃から、かなり慎ましやかな生き方だったと思いますが、それがさらに強まった気がします。
もっとも、自分で「ストイックだ」などという人は、あんまり信用できません。
私の場合も、そうかもしれません。
しかし、華やかな場に出かけることは極力控えていますし、世間的な「祝祭」にもほとんど無縁です。
クリスマスだからといって、ケーキを食べるわけではなく、お正月だからといって、立派な御節を用意するわけではありません。
節子がいた頃は、世間的な「祝祭」日には、わが家もささやかには華やぎましたが、今はほとんどそんなことはありません。
もっとも、華やかさがないと、人生はあまり明るくなりません。
ハレとケという、メリハリが人生には必要だということはよくわかります。
しかし、どうも「ハレ」気分を味わう気にはなれないのです。
節子がいなくなってから7回目の年越しです。
7年も経てば、気持ちも戻ってもおかしくないと思うのですが、ハレ気分への拒否感はむしろ年々強まってきています。
未練がましいのか、気弱なのか、わかりませんが、ともかくだめなのです。
どうして年末になると、気分が沈んでくるのでしょうか。
もしかしたら、年末は、いつも節子と一緒にいろいろとやっていたからかもしれません。
家族総出の大掃除、そして買出し。
その真ん中に、いつも節子がいました。
年末はどうも元気が出てきません。
困ったものです。
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