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2013/12/21

■内政干渉の呪縛を解いて、もっと高次元で考えるべき問題

北朝鮮は残忍でひどい国だ。
今なおこんな国家があるとは驚きだ。
テレビの中でも(つまり公言として)こういうことを言う人が増えてきました。
今回の政治的処刑の動きは、それほど衝撃的なのでしょう。
私には、無辜の人を他国から拉致することのほうが、よほど衝撃的ですが。

そういう発言を、社会的にも発言力のある人たちがするのを聞いていて、それではなぜ、そういう国家を放置しているのかと思ってしまいます。
そこで出てくるのが、たぶん「内政干渉」という言葉でしょう。
他国の内政問題だから、口を出せないと言うわけです。
しかし、これはおかしい論理です。

近くの家で、家庭内暴力(DV)が行なわれていても、それは他の家のことだと見過ごしていていいでしょうか。
この数十年、日本ではむしろ人権よりもプライバシー保護というわけのわからない論理で、放置される風潮が広がりましたが、最近、漸くその考えが見直されだして、昔に戻りだしているように思います。
他家の話には口を出さないと言うのは、人間よりも家(システム)を優先する発想です。
もっと言えば、システムの支配者、家で言えば「家長」が、そのシステムの所有者と考えることです。
もし、人間の尊厳性を基軸にするのであれば、虐待されている個人がいれば、たとえそれが隣の家であろうと助け出すのが当然です。
もちろん虐待の度合いを評価するのは難しいので、度を越したという条件の吟味は必要ですが。

それと同じことが、国家でも言えるはずです。
シリアやスーダンで起こっていることはあまりよく見えてきませんが、日本の隣国である北朝鮮の場合は、かなり見えていて、その度合いも度を越しているばかりか、日本に住む人にも被害(拉致問題)が及んでいます。
にもかかわらず、放置していいていいものなのかどうか。
ただ「残忍だ」「非常識だ」というだけでいいのか。
そんなはずはありません。
即時処刑はおかしいと正式に抗議するべきだと、私は思います。
内政干渉だと言われたら、それは内政の問題ではなく、人間の尊厳の問題だと言えばいい。
北朝鮮の立場で行なわれたことを、世界全体、人類全体で行なえばいい話です。

そこでアレントの「イェルサレムのアイヒマン」を思い出します。
アイヒマンは凡庸な人間で、ただシステムに従っただけ、裁かれるべきはシステムであるというのが、アイヒマン裁判を傍聴したアレントの結論でした。
アイヒマンも被害者だとも言えるわけです。
つまり金正恩もまた、被害者なのかもしれません。

そこをどう正すか。
そこに問題の本質があるように思いますが、まずは北朝鮮の内政に干渉することから、世界は動くべきではないかと思います。
「内政」は、実はいつか外部にもつながってくることを、ニーメラーは教えてくれています。
ハリウッド映画であれば、いとも簡単に問題は解決するはずですが、それはともかく、それぞれの場で、できることは少なくないはずです。
感想を述べるだけでなく、動かなければいけません。
テレビで情報発信できる立場の人には、ひどい、非常識だと思ったら、感想ではなく、もう一歩、言動を進めてほしいです。

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