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2013/12/31

■節子への挽歌2312:7回目の年越しです

節子
節子を見送ってから7年目も今日で終わります。
夏には7回忌も済ませたのに、気持ちはまだまだ整理できません。

アルベール・カミユ。
年末になって、なぜかカミユを思い出して、昨日から大掃除の合間に、彼の遺稿をまとめた「反抗の論理」をぱらぱらと読むでもなく、頁を繰っていたら、こんな文章が目に付きました。

そのものの価値を知ったいま、それは失われている。

まさに、この7年間の私の思いです。
だが、7年間、失われたものへの悲しみだけではなく、失うことによって、得たものへの気づきも生まれてきています。

年末なので、ホームページに書いた、今年の年始の言葉を読み直しました。
そこに、宮沢賢治の言葉が引用されていました。

 ああ いとしくおもうものが
 そのままどこへ行ってしまったかわからないことが
 なんといういいことだろう
失ったものの価値を超えて、もはや失うことのない価値に気づいたといってもいいかもしれません。
おそらく宮沢賢治も、そうだったのでしょう。
銀河鉄道の夜を読むとそれが伝わってきます。

私がカミユの作品に出会ったのは1960年。
節子に出会ったのは1964年。
節子と出会い、一緒に暮らしだした頃は、私はカミユにあこがれていました。
節子には大きな戸惑いがあったはずです。
しかし、節子は、それにとても素直に馴染み、逆に私を変えてしまったのです。
そんな気がします。

カミユは「反抗の人」でした。
年が明けたら、50年ぶりに、「ペスト」を読んでみようかと思います。
節子と付き合いだした頃の気分に戻れるかもしれません。
そこから出直せば、もう少し気持ちが整理できるかもしれません。

明日は、とても穏やかな年明けになりそうです。
私も、穏やかな気持ちで新年を迎えられそうな気がします。
来年は、少し前に進められるかもしれません。

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妻への挽歌12」カテゴリの記事

コメント

佐藤様 今年もよろしくお願い申し上げます。

今、0時半を少し過ぎ 2014年になりました。
私の心は何も変わりません いつもの夜が時を刻んでいるだけです。

いまから水耕栽培の事務所に点検に行きます。これも何時ものことです。
妻が亡くなり三回目の冬、生まれて初めての「お雑煮」をつくり妻と食べました。
自分で言うのもおかしいですが、味はまあまあと言うところです。

娘夫婦が持ってきてくれた「おもち」も入れ、缶ビールで夫婦水入らずの時間を過せ
こころも平穏です。
妻は女性でありながら、人生の荒波が押し寄せてきても、静かに笑顔でやり過ごした人でした。
私も妻のように生きたいと、「妻のものまね」をしながら、難局をやり過ごそうと思っています

ただひとつ追及するものはあります。
佐藤さんは過去の著名な書物に生き方を学ばれておられるように感じてぉります。私は理論物理の進展に
自らの想いを託しています

人それぞれが、どのような生き方をしようが、妻を亡くした男の目標は同じだろうと、考えています

佐藤さんの今年の活躍をお祈り申し上げます。

投稿: 山陰太郎 | 2014/01/01 00:56

山陰さん
いつもありがとうございます。

お雑煮を作られたのですね。
そちらのお雑煮は、白味噌に丸餅ですか?
今年のわが家のお雑煮も、その予定です。
私にははじめてのお雑煮です。
私はお酒はダメなので、今日も珈琲です。

こちらは初日の出がよくみえました。
今年はどんな年になるでしょうか。
私は、少し前に歩き出そうと思い出しています。

いつかお会いできますように。

投稿: 佐藤修 | 2014/01/01 10:57

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