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2013/12/04

■節子への挽歌2583:愛は創発をもたらす

昨日の続きです。
「アウグスティヌスの愛の概念」のなかに、「愛は帰属性を与える」というアウグスティヌスの言葉が出てきます。
キリスト教徒にとっては、最高の愛は神への愛でしょうから、神に帰依し、自らを任せることで永遠の至福を得ることができるというのは納得できます。
アウグスティヌスは、愛を2つに分けています。
同書から引用します。

一つは、その追求を絶えず欺く、誤った対象に向けられる愛である。それは消えゆくものとしての現世に固執する誤った「愛」としての「欲望」であり、いま一つは、神と永遠を追求する正しい「愛」としての「愛」である。

消えゆくものへの愛を「誤った愛」といわれるのは、いささかムッとします。
しかし、「愛は帰属性を与える」ということには共感がもてます。
ただし、私の実感では、その帰属性は相互関係にあります。
自らを相手に帰属させるということは、同時に相手のすべてを引き受けるということだろうと思うからです。
そうでなければ、単に相手への依存であり、寄生であり、時には拘束されることにもなります。
神への愛も、おそらく同じではないかと思います。
つまり、神に帰依することは、神のすべてを引き受けることを意味するのだろうと思います。
私はキリスト教徒ではないので、勝手な解釈なのですが。

フランクルが、その著作の中で、収容所で体験した、そうした話を紹介していたように記憶しているのですが、少し調べてみましたが、見つかりません。
またまた私の記憶違いかもしれません。
しかし、神に帰属するということは神を引き受けることでもあるでしょう。
帰属とは一体化ということですから。

しかし、帰属と相互帰属とは違います。
帰属は相手に一体化することですが、相互帰属は相互に帰属しあう中から新しいものを創出することだからです。
その意味で、私は「愛は創発をもたらす」と感じています。
「創発」とは、異質なもののふれあいの中から、その異質のものとは全く別の新しいものが生まれることです。
愛によって、お互いが変化する。
そして、新たに創発されたものにいずれもが帰属していく。
それは、私の体験でもあります。
「今のままの君がいい」などという愛の言葉は、私には考えられません。
愛は変化をもたらす、極めてダイナミックな関係だと思います。
キリスト教における神への帰属は、私には静態的に感じられます。
そもそも「永遠の至福」に、何の価値があるのか。
むしろ刹那の至福にこそ価値があると私は思います。
永遠を生きる神と刹那を生きる人間とは、世界が違うのです。
これも、その時々を大切にしていた、節子から学んだことです。

実はこの記事は、昨夜書き上げて、今朝、見直そうと思っていたのですが、パソコンの操作ミスで朝起きたら、記録されていませんでした。
それで最初からリライトしたのですが、書き上げてみたら、昨夜書いたものと論旨がかなり違うものになってしまいました。
これもまた、その時々を生きている人間の移り気のせいかもしれません。

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