■節子への挽歌2318:未来が見えてきません
節子
寒くなりました。
私の部屋にはエアコンはないので、パソコンをやる気になりません。
暖房機を買えばいいのですが、もう先があんまりないと思うと、買う気が出ないのです。
身辺整理は相変わらずうまくいきませんが、どうにかして私の私物は減らしたいと思っています。
それで最近は本まで買わなくなってきています。
節子がいた頃は、こんなことはまったく考えたことはありませんでした。
まだ「未来」があったからです。
何かを買うとか、何かを始めるのは、未来があればこそです。
しかし、いまの私には「未来」という概念がありません。
しかし、実際には、誰にも「未来」は保証されてはいないのです。
年齢に関係なく、事故や事件で、突然に「未来」が奪われることもあります。
昨日も南米で新婚旅行に行った若者が殺害されという報道がありました。
不確実な未来よりも、確実な今日を大事に生きるべきでしょうが、なかなかそういう生き方はできません。
それに、未来があればこそ、今日が豊かになるからです。
私たちも、老後という「未来」の存在があることを当然のこととして生きてきました。
そのために、やり残してきた事がたくさんあります。
それができなくなったことは、私にも節子にも、とても残念なことです。
こうなるとわかっていたら、やっておけば良かった、ということが、山のようにあるのです。
できる時にやっておこうというのが、節子の考えでしたが、私は後でやれることは後にしようという考え方でした。
節子の考えにしたがっておけばよかったと、今にして思います。
しかし、その節子にしても、「未来」がないとは思ってはいなかったでしょう。
もしかしたら、最後の最後まで、未来を描いていたかもしれません。
なぜかそんな気がしてなりません。
私がそう思いたいだけのことかもしれませんが、節子はずっと生きようとしていたからです。
いまの私は、闘病生活の時の節子よりも、未来が感じられなくなっているかもしれません。
未来が感じられなくなると、途端に今日も意味を失ってきます。
最近、漸くそのことに気づきだしました。
時間は過去も未来も現在も折り重なっているのです。
さて、ここからどう抜け出すか。
頭では前に進もうと思っているのですが、どうも心身が動きません。
年が明けて6日目ですが、まだ動き出せずにいます。
寒さのせいであればいいのですが。
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