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2014/01/02

■政治と市民

元日の朝日新聞の社説は「政治と市民」と題されていました。
そこに、オーストラリアの政治学者のジョン・キーンさんの「モニタリング民主主義」が紹介されています。
投票日だけの有権者ではなく、日常的に主権者として、政治への関心を持ち続けようという考えです。
その社説では、哲学者の國分功一郎さんの、日本の政治の主導権はいまや行政機関に握られているという指摘も紹介されています、

政治における主導権は、権力者から権力組織へと移ってきていますが、今の日本でいえば、行政組織の道具になっているような気がします。
選挙は、そうした実態を覆い隠すための儀式となっていますが、そうしたなかでも、市民の意識は啓発され、さらに市民のつながりが育ち、市民組織や市民運動が行政組織への異議申し立てをするほどに育ってきているのが、現在なのではないかと思います。

私は、社会を形成する個人にとって大切なことは、「宗教(信仰)」と「政治(連帯)」ではないかと思っています。
10年ほど前に、ある企業から頼まれて、市民活動への資金助成プログラムを企画し実施させてもらったことがあります。
その会社は、私が思うようにやっていいと全面委任してくれたのですが、私の気配を感じてか、ただひとつだけ何となく条件を伝えてきました。
それは、資金助成する条件として、「宗教や政治に関するものではない」活動ということでした。
私にはとても不満でしたが、一緒に企画していた仲間も誰一人例外なく、それを当然のことと受け入れました。
それで、異論を唱えることなく、受け容れてしまいましたが、私自身は意識的には、選考段階では宗教性や政治性はむしろ積極的に考慮しました。
宗教や政治に無縁の市民活動など、なんの役にも立たないというのが私の考えでした。

「宗教」や「政治」の捉え方が、私の場合、特殊なのかもしれません。
宗教とは自らの生きるよすがを考えること、政治とは他者との関係を考えること、というのが、私の理解です。
いずれも、自らの生き方を考えることといってもいいでしょう。
あまりに特殊すぎるといわれるかもしれませんが、でわ、みなさんはどう理解されているでしょうか。
どこかの教団宗教に帰依することが宗教を持つと言うことでしょうか。
どこかの政党に属することが政治意識を持つと言うことでしょうか。
無宗教で無党派と言う人が多いのですが、その言葉ほど、私には違和感のある言葉はありません。
誠実に自らを生きようと思うのであれば、宗教や政治はとても重要なテーマだろうと思います。

モニタリング民主主義ですが、行政や政治をモニターするためには、まず自らの主体的な生き方をもつことが大切です。
一人称自動詞で語る生き方といってもいいでしょう。
自分一人ではなく、さまざまな人たちと支え合いながら生きていれば、自らの判断基準や他者との関係の折り合いの付け方は、日々、考えざるを得ません。
それは実にわずらわしいことですが、みんながそのわずらわしさに正面から立ち向かっていくことが、言葉だけのモニタリングではない、実体を育てていくことになるでしょう。
モニタリングの仕組みを構築することでは、全くありません。

大切なのは、パブリックコメントや住民投票の制度ではなく、日々の私たちの生き方です。
今年は、私もそういう意識をもっと強めたいと思ってい

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