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2014/01/24

■節子への挽歌2336:愛する人を失ってこそ愛がわかる

最近、毎日のように挽歌へのコメントを下さる山陰さんのコメントの一部です。

愛とは?
しかし、6年以上を越えて書き綴られた「節子への挽歌」を持ってしても、その答えは語り尽くすことは難しい。
「愛とは?」奥深く重厚で神秘なものなんですね。
理論や数字では答えられない「愛」、まして最愛の妻への愛を、言葉や文章で表すことは至難の業かもしれません。
そういわれてやっと気づいたのですが、この挽歌は、「愛」を語っているのですね。
そういう自覚は、あまりなかったのです。
悲しみや寂しさや、怒りや後悔や、そうした、むしろ後ろ向きの気分が多いように認識していました。
もちろんそれは間違いではありません。
それに、いつまで書いているのというのが、大方の人の感想でしょう。
まるでストーカーのようではないかと言われたら、返す言葉もありません。

山陰さんのコメントを読んで、この挽歌で「愛」という言葉がどのくらい使われているかを確認してみました。
挽歌の総集編を、私のホームページに再掲していますので、パソコンで簡単に調べられます。
結果は、予想以上に「愛」という文字が使われていました。

愛という文字は、多様な意味を持っています。
人類愛といった博愛から特定の個人を対象とした性愛までさまざまです。
「経営とは愛と慈しみ」と捉えている私の場合、企業経営においても「愛」がキーワードになりますから、挽歌でなくとも「愛」という文字を多用しているかもしれません。
しかし、思った以上に、挽歌でも「愛」が語られていました。
挽歌や鎮魂歌とは、やはり「愛の賛歌」なのだと改めて思いました。
生きるとは愛することなのです。
そして、愛とは、実はとても悲しくさびしく辛いものなのです。
だからそこに喜びがある。

愛を話題にした最新の挽歌は「ハンナ・アーレントの愛」です。
アーレントの著作の根底には、愛があります。
それも、実に悲しくさびしく辛い愛です。
不幸せがあればこそ、幸せがあるように、成就しない愛こそが、愛の意味を教えてくれるのかもしれません。

愛する人を失ってこそ、愛がわかる。
愛とは実に意地の悪いものなのかもしれません。

ところで、「愛とは奥深く重厚で神秘なもの」でしょうか。
これに関しては、明日、書いてみます。
もし気分が変わらなければですが。

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