■犯罪もののテレビドラマが圧倒的に多くなった
最近のテレビドラマは、犯罪ものが圧倒的に多くなってきているそうです。
犯罪を取り締まる側の不正がテーマになっているものも少なくありません。
こうしたこともまた、時代を象徴しているのでしょう。
今朝の朝日新聞で、特定秘密保護法をめぐって、賛成派の長谷部東大教授と反対派の杉田法政大教授の対談が掲載されていました。
お2人に共通しているのは、日本の立憲主義を守るというところから出発していることです。
しかし、それにもかかわらず、秘密保護法への評価は正反対になっているのです。
たぶん時代認識の違いなのでしょう。
対談で、杉田さんは「立憲主義とは通常、憲法を使って権力を制限するものではないか」と問いかけていますが、長谷部さんはその問いをそらして、「憲法の定める自由で民主的な現在の政治体制を守らなければならない」と返しています。
立憲主義は国家を安定させるものですが、「権力」の所在をどこに見るかが重要になってきます。
最近、長谷部さんのような憲法学者は少なくありませんが、昔、東大で小林直樹さんに憲法を学んだ者としては、時代の違いを大きく感じます。
権力には2種類あります。
現実的な暴力執行を正当化された権力とその権力の淵源となる権力です。
国民主権である日本で言えば、前者は政府であり、後者は国民です。
制限すべき権力がいずれであるかは、明々白々です。
しかし同時に、後者の国民という概念そのものも、主体概念にはなりえませんから、長谷部さんのような立場の人が危険な存在だと思うのも仕方ありません。
政府の暴走と同じく、国民の暴走もまた、歴史の事実として存在するからです。
現在の日本はどういう状況かは、テレビドラマの流行と無縁ではありません。
犯罪ものが多いということをどう受け止めるかです。
しかもその犯罪の主役が、個人ではなく、組織、それも警察や検察、あるいは大企業といった、社会の秩序を維持する側であることも少なくありません。
アメリカほどではありませんが、反体制的なメッセージが少しだけこめられるようになって来ています。
この点が、再放送されている一昔前の犯罪ドラマとはまったく違うところです。
社会が変質しているのです。
いや、政府が変質しているというべきかも知れません、
長谷部さんが言う「自由で民主的な現在の政治体制」とは、程遠い現実の中で、多くの人たちは生活しています。
しかし、国民としての主体化は、もはや遠い夢になっています。
あまりにも分断されてしまっているのです。
連帯などは、夢のまた夢かもしれません。
そうなれば、もう政府はいかようにも動けます。
イソップ物語の、かえるの王様を思い出します。
しかし、ここに来て、少し流れが変わろうとしているようにも感じます。
権力批判的な犯罪ドラマ人気は、そうしたことの予兆でしょうか。
あるいは、そうした世論の無意識な不満のガス抜き活動なのでしょうか。
いずれにしろ、犯罪ドラマで、鬱憤を晴らしている時ではありません。
「自由で民主的な現在の政治体制」を守るためにではなく、「自由で民主的な現在の政治体制」を創りだすためにこそ、市民活動は取り組まれなければいけないと思います。
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