■人と人をつなぐもの
今年は年賀状をまだ書いていません。
はがきだけは購入してあるのですが、どうも書く気になれません。
つまり、「新年おめでとう」という気分が出てこないのです。
受け取ったまま、返信もしないのは失礼なので、メールなどで連絡できる人には、年賀状ありがとうございました、というメールだけは発信しました。
しかし、メールをやっていない人にはそれができません。
寒中お見舞いにして、出そうかと思いますが、それもどうも気が進みません。
困ったものです。
毎週、1~2回、はがきをくれる友人がいます。
それも必ず記念切手を貼った、絵葉書です。
はがきをもらうとやはりうれしいものです。
昨年末に、会社時代に一緒に仕事をしていた人から手紙が届きました。
私よりもひとまわり若い人で、会社時代は私の仕事を手伝ってくれていた人です。
そろそろ身のまわりの整理をしだしたそうです。
その途中で、私の手紙を見つけたようです。
「佐藤さんは、よく手紙をくれていましたね」と書かれていました。
その手紙が残っていたようです。
昔は、私もよく手紙を書いていたのを思い出しました。
私自身は、最近はあまり手紙を書かなくなりました。
電話は今でもあまり好きではありませんので、メールでの連絡が中心になってしまいました。
メールは実に便利なので、だんだん手紙を書かなくなってしまったわけです。
手紙を書く場合も、パソコンで打ちこんで、印刷するようになりました。
今は亡き妻は、パソコンでつくったものは手紙ではないと言っていましたが、たしかにそうかもしれません。
メールよりも簡単なのはフェイスブックです。
フェイスブックに何かを書くと、いろんな人が「いいね」を押してくれます。
私も最初は、誰かの記事を読んで共感したり、関心を持ったりしたら、「いいね」を押していました。
なんとなくそれでその人とつながっているような気がしたものです。
しかし、考えてみると、それで何かが伝わったわけでもありません。
最近は、「いいね」を押せなくなってきました。
それと、フェイスブックは、いささかストーカー的な要素があって、気が進まなくなりました。
それで最近は書き込みも少なくなりました。
人と人がつながるというのは、どういうことでしょうか。
最近は、どうも形式的なつながりが増えているのかもしれません。
形式的なつながりが増えることは、もしかしたら、心を込めたつながりはむしろ減っているのかもしれません。
つまり、功利主義的なつながりは増えても、支え合うつながりは減っているかもしれません。
機能的で功利主義的なつながりがいくら増えても、忙しくなったとしても、生活は豊かにはならないでしょう。
そんなことを考えているせいか、なかなか寒中見舞いも書けません。
今年もまた、郵便局に使用しなかった年賀はがきを引き取ってもらいに行くことになるかもしれません。
困ったものです。
| 固定リンク
「生き方の話」カテゴリの記事
- ■個人判断してはいけない時代だったことに気づきませんでした(2023.01.27)
- ■「嘘つきは政治家のはじまり」にしてはいけません (2023.01.26)
- ■布教が目的になってしまえば人の救済にはなりません(2023.01.11)
- ■自らを恵まれた場所に置いていると事実は全く見えてこない(2023.01.10)
- ■月収5万円でも豊かに暮らせる社会(2023.01.09)
コメント