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2014/01/10

■節子への挽歌2322:初老

節子
昨日、書き残したことを書きます。
山陰さんのエクセル絵画には言葉が添えられています。

手賀沼の湖面に揺れる木々の影
初老の心に 亡き妻偲ぶ
「初老」。
実は、この言葉にぎくっとしたのです。
私は72歳ですから、初老というよりももう十分に老人です。
しかし、どうもその感覚がないのです。
だからきっとぎくっとしたのです。

年齢とは不思議なもので、自分の年齢を自覚することはとても難しい。
自分だけではなく、長くずっと身近にいる親しい人の年齢も、なかなか客観的に意識できません。
小学校の時の友人とは、今なお、子どものままの関係を続けています。
私だけでしょうか。

実は私は、昔から、人の年齢が認識できないタイプでした。
ほとんどの人たちが同じように見えるのです。
なかなかわかってもらえないのですが、これも一種の知覚障害かもしれません。
他者の年齢が何となくわかるようになったのは、10年ほど前からです。
もっとも、今でもあまり自信はありませんが。
ですから自分自身の年齢が自覚できないのは、そのせいかもしれません。

知識としては、もちろんわかっています。
年齢が72歳の老人なのです。
しかし、どうも実感がもてません。
大学生の頃と、実はそう意識や精神は違わないのです。
実に困ったものです。

もし節子がいたら、お互いの加齢状況を少しは認識できたでしょう。
しかし、滅多に鏡を見ない私は、老いを実感できないのです。
それに、節子がいなくなった時点で、節子と一緒に生きてきた私の時計は止まってしまった。
だから、72歳といわれても、ピンとこないのです。
そのために、もしかしたら、生き方を間違っているのかもしれません。
節子がいた頃は、たしかに時々、注意されていました。
歳相応の生き方をしていなかったからです。
それが、いまも続いているのかもしれません。

しかし、「初老」とは、魅力的な言葉です。
初老を意識できず、初老らしい生き方を楽しめないのが、少し残念です。
もう少し、鏡を見るようにしないといけません。

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妻への挽歌12」カテゴリの記事

コメント

佐藤様 こんばんは

佐藤さんも初老、六十六歳の私も初老だと思っています。
おっしゃる通りです。妻を亡くした時から時は止まりました。というよりも
無理矢理に時を止めたのでしょうね

彼岸にも同じように流れる時があるとすれば、止めなくてもよかったのですが・・
もし彼岸に時が無いとすれば、妻は六十半ばのまま、私が八十歳では申し訳ないと思ったりします

現実には髪も乏しくなり、まさにお坊さんのようになってしまいましたが
これだけは致し方のない所です。
妻もうすうす感じていましたから、丸坊主になったとしても、何時ものように笑って流してくれるでしょう

「初老」という言葉は私も好きな言葉です。
まして若い人たちと共に働く初老の男は、かっこいいじゃありませんか

初仕事の際には、四十年前に妻に買ってもらったトレンチコートを羽織って、さっそうと出かけました。
若い事務員さんたちが、不思議なものを見るような顔で、見ているのが心地良かったですよ

実は、このグレーのトレンチコートを羽織るのは、二十五年ぶりぐらいになります。
妻もびっくりしながら、懐かしがっているかもしれません

私だけが知っている秘密の妻との思い出です。そのことが私をホッとさせてくれます
誰にも分からない妻との若かりし頃のふたり、これがなんとも心を癒やしてくれるのです

他にも他人様の目など最近は気にすることなく、やりたい放題をやらせてもらっています。
娘には内緒ですが・・・何か言われそうで・・


投稿: 山陰太郎 | 2014/01/10 23:40

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