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2014/01/02

■節子への挽歌2314:年賀状

節子
今年も節子の友人たちから何通かの年賀状が届きました。
宛先は私ですが、言うまでもなく、節子宛の年賀状です。
節子に供えておきましたので、もう読んでいることでしょう。
昨年までは、節子に代わって私が返事を書いていましたが、今年は止めようかと思います。
というか、今年は年賀状を書くのは止めようかと思っているのです。
数年前から年賀メールに切り替えましたが、それでも届いた年賀状には返信していました。
しかし、どうも気分的に「年賀」という気がしなくなってきたのです。
今年は、年賀メールも出していないのです。
困ったものです。

私の友人からの年賀状に、この挽歌に言及しているものもありました。
節子も知っている吉田俊樹さんは、時々、うじうじした文章を読んでいると書いていました。
たしかにうじうじした文章なのでしょう。
困ったものです。

節子は年賀状が好きでした。
版画で年賀状を作っていたときは、それはもう大変で、家中、制作途中の年賀状でいっぱいになり、私も手伝わされていました。
その後、プリントごっこなるものができて、簡単になりましたが、節子はなかなかパソコンの年賀状は受け容れませんでした。
パソコンでの印刷を受け容れた後も、宛名書きだけは手書きでした。
病気で大変になってからも、その人への思いを頭に描きながら宛名書きをしてこそ年賀状だと、譲りませんでした。
年賀状を書いている節子は、たしかに幸せそうでした。
節子は、私の年賀状は、年賀状とは認めていませんでした。
年賀状ひとつとっても、さまざまな思い出があります。

私のところに来る年賀状も少なくなってきました。
75歳までには届く年賀状をゼロにしたいと思っています。
別に深い意味があるわけではありませんが、もうすでに十分につながっているからです。
この歳になると、そんな気分になるものです。
ただ、彼岸からの年賀状が届くとしたら、それはぜひとも欲しいものですが。

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