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2014/01/13

■節子への挽歌2325:知覚か感覚か

最近また、節子が夢によく登場します。
しかし、前にも増して、夢に登場する節子は不定形なのです。
前にも書きましたが、何となくの雰囲気なのです。

生態心理学者のエドワード・リードは、「私はバラを庭にある美しい対象として知覚するのに対して、私が感覚するのはその感じ、色、匂いなどだけにすぎない」と著書「魂から心へ」で書いています。
知覚と感覚は違いますが、私たちは、どちらを中心に生きているでしょうか。
現代人は、「知覚」を基本に生きていると思いがちです。
しかし、実は「感覚」を基本に生きているのかもしれません。
少なくとも私は昔からそうです。

バラの花が、かぐわしい香りを生み出すのでしょうか。
それとも、香りがバラの花を鮮やかに輝かせるのでしょうか。
私は、ユリのカサブランカが好きですが、凛としたカサブランカの花ではなく、あの香りにつつまれることで引き出される意識が好きなのです。
私が認識している世界は、私の知覚によって創られているのか、それとも私の感覚によって創られているのか。
それはなかなか難しい問題です。
私が愛した節子は、知覚の対象だったのか、感覚の対象だったのか。

最近夢に出てくる節子は、知覚できない節子です。
しかし、知覚できない節子であれば、別に夢でなくとも、日常的にわが家にはいます。
何となく声をかけたくなる時もありますが、今、この時点でも、階下に節子がいてもおかしくないような気がしています。
節子が元気だった時も、四六時中、節子が隣にいたわけではないですし。
となれば、いったい何が変わったのでしょうか。

節子とよりも、長く間、会っていない友人や従兄弟がいます。
だからといって、特に寂しさやかなしさはありません。
その気になれば、会えるからでしょうか。
もしかしたら、会うこともなく、どちらかが先に旅立つかもしれません。
しかし、その人がたとえ遠くであったとしても、そこで元気にしていると思えば、何も変わりません。
節子も、彼岸で元気にしていると思えば、いいわけです。

しかし、なぜかそうならないのが不思議です。
やはり「感覚」だけではものたりません。
困ったものです。

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妻への挽歌12」カテゴリの記事

コメント

佐藤様 こんばんは

私は、この記事の一字一句、全てにおいて肯定派だと思います。
佐藤さんと私の「節子」に関することに限れば、その思いは、同じ次元にあると断言できるように感じます。

妻が亡くなる前に握りしめた手の感触は、今も鮮明に記憶にあります
今となっては知覚で感じることが不可能になり、残念なことになってしまいましたが
火葬場で見た肉体の変化は事実そのものです。

しかし、私は妻の死を認めることは、生涯にわたりないでしょう
病院のベッドの上で医者が発した「・・時・・分 ご臨終・・」の言葉にも、深い悲しみはなく
涙も出ませんでした。

私は、ご臨終の言葉を聞いた時、一種の安堵感とともに、「これで家に連れて帰ってやれる」
それが私の正直な気持ちでした。
そして妻を布団に寝かせてあげた時は、「ほっ」とした気持ちが充満したことを覚えています。

それから三日三晩、愛犬と共に静かな通夜を過ごしました。
眠っているような妻の顔、とても死んでしまったとは感じられず、娘が施してくれた死化粧も
いつもの妻の化粧と同じでしたので
尚、眠っているだけのように見えたのかもしれません

私は、妻が亡くなったことを受け入れてはおりませんでした。その心は今も同じです
また、妻も「わたしは 死んでなんかいないわよ」そう言っていたと思っています。

結局、私は妻が肉体を脱ぎ去った後、一度も妻の出来事に涙を一滴も流すことはなく
今に至っております。

ただ、手を握り合ったり、語り合ったり出来ないことが、無性に無念に思うことはあります。

他人様は、遺された者が幸せになることが供養になり、仏様も成仏が出来るのだと、警告は
してくれますが、その言葉は受け入れることは出来ないでいます。

私の本当の幸せは、肉体をまとった妻が傍にいてくれてこその「幸せ」であり、現状のまま
幸せに感じることは、この世で一切ないと思っています。

分かち合う人が傍に居なくて、幸せはあり得ないことですから

妻に逢う日こそ、幸せを感じるときだと信じながら、今を過そうと思っております。


投稿: 山陰太郎 | 2014/01/14 19:48

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