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2014/01/05

■節子への挽歌2317:共進化する夫婦

昨日の挽歌に「コト的生命観」のことを書いたら、読者の山陰さんからコメントをもらいました。
それで、それに関連したことを今日も書くことにしました。
昨日よりも、さらに理屈っぽい話です。

「コト的生命観」では「共進化」ということが重要視されます。
共進化とは、お互いに能動的に影響を与え合って、相手を変え、自らを変え、関係(世界)を変えていくことです。
「共進化」の視点で世界を見ると、いろいろと見えてくることがあります。
とりわけ環境問題において、この視点は有効です。
この言葉は最近ではかなり一般化しましたが、私がまだ仕事をしていた10年ほど前にはなかなか一般的には通じませんでした。
今から考えるとなんでもない普通の言葉であり、当然の考え方なのですが、こういうことを何回も体験しています。
その生き証人の節子がいないのが少し残念ですが、言葉というものは、つくづく生きているものだと思います。
つまり、言葉と社会は深く深くつながっているのです。
そして世界を構築しているのです。

しかし今日書こうと思うのは「共進化」の話です。
共進化の典型は夫婦かもしれません。
多くの場合、そして私たちの場合も、それまでは全く知ることのなかった2人が生を共にすることで、互いに相手を変えていくのが夫婦です。
しかし、変わるのは夫婦のそれぞれだけではありません。
そこに新しい世界が生まれ、その世界がさらに外の世界を変えていくわけです。
それが常に好ましい変わり方とは限りませんが、ともかくそこから新しいコトやモノが生まれだしていく。
そしていつの間にか、2人が創りあげてきた関係が主役になっていく。
モノとしての2つの生命が夫婦を形成しているのではなく、コトとしての夫婦が2つのモノとしての生命を育てていくようになるのです。
それがさらに外に向かって共進化を引き起こし、社会は進化していく。
夫婦は、共進化の核の一つのような気がします。

一般に共進化関係は、さらに大きな共進化関係を生み出していきます。
それが行き着く先が生態系です。
生態系は、開かれた共進化関係によって生み出された、大きな共進化の世界です。

しかし、閉じられた2者による共進化関係が強くなりすぎると悲劇が起こります。
共進化関係が広がらずに、大きな共進化構造から逸脱し、内向しだすのです。
そうなってしまうと、生きる気力は急速に萎えるでしょう。
生きるとは、新しい世界に向かうことなのですから。

私たち夫婦は、常に開かれた存在を目指していました。
相互を過剰に拘束しあうことなく、それぞれの生き方を尊重していました。
2人とも、世界を広げてきていました。
そのはずだったのですが、どうも私は過剰に節子に依存していたのかもしれません。
伴侶との別れが、私の時間軸を止めてしまったことが、その証拠です。
もし開かれた共進化関係であったなら、違った展開になったはずです。

コトとしての夫婦の世界はいまも続いていますが、どうも動きはなくなってしまいました。
共進化のコアパートナーがいなくなったからです。
外の世界との共進化も、未だに実感できません。
止まった時間をどう動き出させたらいいのか。
時間が止まったままでは、気は萎える一方です。
さてどうするか。

節子は大きな難問を残していってしまいました。
実に困ったものです。

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コメント

佐藤様 こんばんは

今日は社団法人の理事会がありました。私は外部の会計責任者をさせて頂きながら、共同事業として「室内の植物工場」を管理しています。
しかし、これが最終ではなく、次のプランは「清流に住むヤマメの室内飼育」を考えております。

まだシステムの設計段階ですが、半年後には実験を開始する旨を理事会で発表し、全面的な協力を得られました。
嬉しかったです。

何しろ妻が元気なころからの計画でした。 

五年前にはプランを発表すると皆からは冷ややかな言葉が返ってくるだけでしたが、妻だけは誠心誠意応援をしてくれていましたから・・・


本題ですが、今回の「夫婦の共進化」の記事は、ほんとうに納得の出来る内容です。
また、佐藤さんのように妻をこよなく愛し、信頼できる絆の夫婦は、実際にはそれほど多くはないのかもしれませんね

佐藤さんからは、「妻への依存が大きすぎる」との言葉を何度かお聞きしましたが、その言葉の根底には「お互いの強い絆」が見え隠れしております。
私も佐藤さんに負けず劣らず、妻への依存は大きいものがありました。

妻のいるころは、「おれのお陰だ・・ おれについてこい」なんて、バカな考えに支配されていましたが
妻が逝った後に思い返してみると、妻の陰に隠れながら精一杯の遠吠えをしていたのは、私のほうでした。

妻のことを偉大な人と言えば、他人様は笑い飛ばしますが、それが真実なんです

変な話で申し訳ありませんが、現世を三次元とすれば、今の佐藤さんは四次元に入り込んでおられるように思えます。
私たちの若い頃は、四次元と言えば「漫画で見る世界」でしたね

しかし、この五十年で仏教も遍歴し、キリストにも靄がかかってきました。そして科学も大きな遍歴をしながら、実態に少し近づいたように思えます。

亡くなった先人たちは、四次元の奥の奥で待っていてくれるかもしれないと、微たる希望は持ってもいいんじゃないのだろうかと
そんなことを考えながら少しばかりですが、前に進むようにしたいと思っております。

投稿: 山陰太郎 | 2014/01/05 21:11

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