■節子への挽歌2324:科学が封じ込めた「見えない世界」
節子
死後の世界があるかどうかはまだ解決されていない問題です。
昨日、NHKの番組で「超常現象」で、死後の世界や臨死体験が取り上げられていました。
死後の世界などないと断定する人もいれば、それがないと説明できないことがあるという人もいます。
ないことの証明はできませんから、科学者であれば、ないと断定することはできないはずですが、皮肉なことに、大方の科学者は「ない」といっています。
科学者とは、ある前提にたっての論理演算の世界に生きる人のことですから、見える世界しか見ないのが普通です。
しかし、そうでない人もいます。
番組でも引用されていましたが、ユングは「私は自分で説明できないものすべてを、インチキとみなすという、昨今の愚かしい風潮に与することはしない」と言っていたそうです。
ユングの時代から、今は大きく変わってきてはいますが、そうした風潮は今なお、世間を覆っています。
時評編では少し書きましたが、最近私も、放射性汚染物質の除染実験で、それを自分で体験しています。
やはりこの番組で、肉体的な死とともに、意識が肉体を抜け出し、他の肉体に入ったりすることがあるという、ベイトソンの仮説を紹介していました。
実は、これに関しても、私自身、そう考えてもおかしくないようなことを体験していますが、そう考えると説明しやすくなることも世間には少なくないかもしれません。
一時期、彼岸の科学はかなり流行しましたが、最近は少し下火です。
この番組を契機に、また少し流行りだすのでしょうか。
まあ私が此岸にいる間に、彼岸との交流ができるようになるのはあまり期待できませんが、いつまた、回路が復活するかはわかりません。
私自身は、小賢しい「科学」の発達が、此岸と彼岸の交流回路を断絶してしまったのだと思っています。
科学は、「見えるもの」を「より鮮明に」に見えるようにしてくれましたが、「見えにくいもの」や「わかりにくいもの」に関しては、逆に「見えないように」してしまったのです。
知識があれば、世界が見えるようになるとは限らないのです。
知識がないほうが、よく見えるものもあるのです。
いずれにしろ、私自身も、そう遠くない先に、ベイトソンの仮説を自分で体験できるかもしれません。
多くの臨死体験者が語っているように、先に旅立った人と再会できるかもしれません。
そう思うだけで、なんとなく幸せになるような気がするのですが、どうして多くの科学者はそう考えないのでしょうか。
まだ愛する人を見送ってないからでしょうか。
科学者がうらやましいですね。
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コメント
佐藤様 こんばんは
メールをありがとうございました。
録画しておいた「超常現象」というNHKの番組を先ほど視聴しました。
佐藤さんのおっしゃる通りで私は何も言うことはありませんが
番組のプロデュース内容はあまりにも表面的で、内容も既に世の中に氾濫している古い情報を
繋ぎ合わせたようなものですね
どちらかというと、内容が薄く「超常現象」とのタイトルとは、一部内容がリンクしていないように感じました。
投稿: 山陰太郎 | 2014/01/12 22:58
I truly enjoy reading on this website, it has superb articles. “The living is a species of the dead and not a very attractive one.” by Friedrich Wilhelm Nietzsche.
投稿: Piper | 2014/01/22 08:08