■節子への挽歌2330:「年が変わるたびに新しい悲しみにおそわれる」
節子
昨日は阪神淡路大震災の19年目でした。
家族を失った遺族の方がテレビで話していました。
「年が変わるたびに新しい悲しみにおそわれます」と。
「日薬」という言葉があります。
時間が悲しみを癒してくれる。
時が一番の薬だ、ということだそうです。
これは、たぶん最愛の人を亡くした当事者ではなく、その周辺の人の話でしょう。
肝心の当事者は、決して、時の経過で癒されることはありません。
テレビで遺族の方が語っていたように、年を重ねるにつれて、むしろ新しい悲しみや思いが浮き上がってくるのです。
おそらく人生の意味が大きく変わり、元に戻ることはありません。
しかし、同時に、そのことを素直に受け入れられるようにもなってきます。
そのことを「癒し」というのであれば、癒されるといえないこともないでしょう。
でも、当事者にとっては、決して「癒し」という感覚ではありません。
痛みがどんどん深く沈殿し、意識の底にもぐりこみながら、心身を覆いつくしてしまう感じです。
それが、時に噴出します。
遺族の方は、毎年、1月17日になると、その悲しみで全身がつつまれるのでしょう。
そして、その悲しみに身を任せることで、逆に気持ちを新たにできる。
悲しみは、同時に元気にもつながっているような気がします。
新たな悲しみは、同時に、新たな生きる気力にもつながっているように思います。
そして、悲しみを噴出させることが、まさに亡くなった人への供養なのです。
悲しみが深ければ深いほど、亡き人への思いを確信でき、前に進むことができるのかもしれません。
19年も悲しさを深めてきた遺族のみなさんに、私も勇気をもらいました。
悲しみを、日々、新たにしていこうと、改めて思います。
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コメント
佐藤様 おはようございます
午前五時になります。 今夜は徹夜になると思います。
今日19日より10日間
我が町で唯一の文化センター(倉吉未来中心・アートギャラリー)におきまして
エクセル絵画の展覧を致すことになりました。
最後の準備中です。このまま眠ることなく朝10時からエクセル絵画を会場に設置していきます。
社団法人の理事長さんのお奨めで、恥ずかしながら展覧を決めました。
佐藤さん(節子さん)にお贈りしました「月下美人」も出展させて頂くことにしました。
理事長さんから、月下美人は気に入っているので出展してもらいたいとの希望もありましたので
佐藤さんとの経緯などをお話しましたところ、是非出店をとの言葉でした。
月下美人を描いたのは昨年の11月5日でしたが、一夜限り咲く花は、何時咲いてくれるのでしょうか
今後も月下美人及び手賀沼の絵は、銀行内のギャラリーや公民館の展覧に出展を計画しております。
話を本題に戻します。
今回の記事「年が変わる度に、新しい悲しみにおそわれる」
ほんとうにその通りだと思います。
伴侶を亡くした悲しみを、時間薬が癒してくれるなどと、慰めてもらったとしても
「そうだね」と、言える夫など稀なことではないでしょうか?
まして、六十歳半ばを過ぎ残されたた男の気持ちなど、経験者以外に理解することは無理なことでしょう
若かりし頃のパワーが、歳を重ねるごとに萎えていく夫に、時間が癒してくれるなど、考えられないことですから
昨夜も「NHKの超常現象 2」を放映していました。
テレパシーという項目には少し興味を持ちましたが、超能力というスプーン曲げや遠隔透視は、私にはピンときませんでした。
しかし、テレパシー実験での、意識が伝わる人と人が知人同士というのが、少し気になります。
私は、恋人や夫婦になる前の他人同士の意識がどのように伝わるのか、そこが知りたいと考えております。
妻との遭遇、あの年(昭和40年)のあの日(8月25日)あの時間(午前8時25分?秒)に
あの場所に行くことは、あの日を除けば、生涯なかったことなのに、私はあの場所にいた。
遭遇した時間は約20秒、その20秒の間にあの場所に行かなければ、あの人を妻とは呼んではなかったことになります。
妻が亡くなってから三年ですが、殆ど毎日考えるのは、なぜあの日、妻に遭遇できたのか・・・
赤の他人同士の繋がりは、何が繋いでくれるのでしょう
テレパシーなのでしょうか
投稿: 山陰太郎 | 2014/01/19 05:30