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2014/01/05

■「自分の面倒は努めて自分でみる」ことに反対

五木寛之さんが「新老人の思想」という本を出しました。
その新聞広告のキャッチコピーは、とても私には不快なものでした。
一番大きな文字は「老人こそがすべての主役」とあります。
まともな物書きの言葉とは思えません。
まあ、私は五木さんの最近の作品があまり好きではないので、そう思うのかもしれません。
しかし、広告批評ジャーナリズムの天野さんがいたらどう言うでしょうか。

ところで、その広告に、新老人の生き方として、最初に「自分の面倒は努めて自分でみる」があげられていました。
私は娘から、自活できるように、少しは料理や買い物ができるようになってよ、といつも言われています。
時勢がら、そうなのかと思う反面、そうはしないぞとも思っています。
それで娘とは時々、論争になります。
そういうこともあるので、この言葉に反論したくなりました。

「自分の面倒は努めて自分でみる」という生き方には、私は反対です。
私が理想とするのは、「自分の面倒は努めて他者に見てもらう」です。
ただし、同時に、「他者の面倒は努めて見るようにする」ことにも心がけたいと思います。
これが私の、長年の実際の生き方です。

前に書きましたが、面倒を見ることと面倒を見られることと、どちらがうれしいでしょうか。
私は前者です。
病人の看病をした体験のある人なら、みんなそう思うでしょう。
だとしたら、面倒を見てもらうということもまた大切なことなのです。

「自分の面倒は努めて自分でみる」という生き方を推し進めていくと、孤独な生き方に向かい、孤独死にさえつながりかねません。
人は一人では生きていけません。
面倒を見合うことによって、生きていけるのです。
いや、面倒を見合うということこそが、生きることではないかとさえ思います。

「自分の面倒は努めて自分でみる」という生き方のできる人は、五木さんのように、恵まれた人だけでしょう。
しかし、そういう生き方は、何か冷たくて、豊かさを感じません。
困ったらまわりに救いを求め、まわりに困った人がいたら手を貸すという生き方こそ、豊かで幸せな生き方のように思います。

しかし、他者に面倒を見てもらうことはそう簡単なことではありません。
困った時に面倒を見てもらえるのは、それまでの生き方と無縁ではありません。
大切なことは、面倒を見てもらえるような生き方をしようということです。
つまり、日頃から他者の面倒を見る生き方をするということです。
私は、「自分の面倒は努めて自分でみる」という生き方だけはしたくありません。

ところで、娘には、親孝行のチャンスを与えるという親心だと説明していますが、納得してもらえません。
困ったものです。

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コメント

佐藤様  こんにちは

佐藤さんの記事からは、いつも人生の勉強をさせて頂いております

他者から面倒を見てもらうこと、これほど幸せなことはありません
そして、面倒を見る方も大きな幸せをかんじるのですね

それは私の父親を17年に亘り、介護してくれた妻の言動や姿から、間違いなく面倒を見てもらう方も
また、面倒を見る方も如何に幸せ感を味わえるかを知ったからなのです。

妻が二十歳の時、私たちは出会いました。
そのころは介助人がつけば歩けるほどでしたが
三年後妻との結婚式を挙げるときには、寝たきり状態になっていました。

手足は動かせず言葉もまともには発することのできない父を、妻は笑顔で面倒を見てくれました。
一日三度のおしめの取り換え、朝昼夜は、とろとろのお粥を作りスプーンで食べさせ、体をタオルで拭くという
介護施設よりも至れり尽くせりの介助を、楽しみたい時間を父の為に費やしてくれました。
十七年間の長きに亘る義父への愛情は、父が死んだ後も変わりませんでしたね

このころの父と妻のふたりのやり取りの温かさは、今も目に焼き付いています。

妻は23歳から40歳すぎるまで続いた義父の介助のことは、自らのご両親や兄弟には一言も話しませんでした。
ほんとうに辛かっただろうとは、私は思いますが
妻は義父の面倒を見ることが楽しみのように明るくやってくれていました。

私はいつも思っていました、「妻は何のために 嫁いで来たのだろうか・・」

父は母親よりも妻からの介助を心から望んでいたことは、病院の看護師さんから聞いたことがあります。
途中、二年間の入院をした時も、父は看護師さんに妻への感謝を何度も何度も話していたそうです
妻はその父の望みに100%答えてくれていました。

私たち家族の中で、一番の幸せ者は父だったのかもしれません

他者の面倒を見る方も、見てもらう方も、幸せになれるんですね

いろいろと気づかせてくれる佐藤さんの記事に、心から感謝いたします。

投稿: 山陰太郎 | 2014/01/06 17:31

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