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2014/01/20

■節子への挽歌2332:長い長い思索の時間

節子
今年になってから、長い長い「思索の時間」をもちました。
といっても、思索と言えば、聞こえが良いですが、実態は、気力がなく怠惰に過ごした時間というべきかもしれません。
しかし、怠惰に過ごすことと思索とは、たぶん切り離せないでしょう。
「忙しい」という言葉が「心を亡くす」ということを象徴しているのでれば、怠惰は「心を耕す」ことなのかもしれません。

昨年は、かなりの自己嫌悪に陥り、人への不信感を強め、厭世気分も高まってきていたのですが、それと同時に、秋くらいから、「不安感」が生まれてきていました。
根っからの楽観主義者ですので、「不安感」とはほとんど無縁に過ごしてきたのですが。
それも、私のこれまでの生き方に深く関わっているものなのです。
まあ笑われそうですが、正直に言えば、貯金がないことへの不安です。

私は、お金がなくとも幸せに生きられると言い続けてきました。
そして、実際に、そういう生き方をしてきたつもりです。
そのことは、節子が一番よく知っています。
節子がいたら、それだけで、ほかには何もいらなかったからです。
お金など、何の役にも立たないと思っていました。
病気になっても、節子が何とかしてくれるだろうと確信していました。
しかし、今はもう、その節子がいません。

昨年、あることに関わったために、少しまとまったお金が必要になりました。
お金を工面し、そのやりくりを考えるという、生まれて初めての体験をしました。
実に意外だったのですが、そういうことをやっていると、お金への執着が生まれてきてしまうのです。
お金を工面してやった人は、絶対に返済してくれるだろうと思っていたのに、必ずしもそうならないのです。
そうなると、何とか取り戻そうなどという考えが浮かんできてしまう。
まさに、お金の魔力に取りつかれて、おかしくなっていくのです。
そして自己嫌悪におちいってしまったわけです。
自己を嫌悪するほど、不幸なことはありません。

お金があることよりも、お金がないことのほうが、幸せに近づけるという、私の確信はやはり事実だったようです。
しかし、その一方で、節子がいなくなった今、お金がなくても大丈夫だと言い切れるかという不安が生まれてきたのです。
それで、年末に宝くじを買いましたが、見事に外れてしまいました。

まあ、そんなこんなで、年明けは自己嫌悪と無気力に陥ってしまっていたわけです。
しかし、負け惜しみ的に言えば、私にはとても意義深い体験でした。
世界が広がり、視野が深まり、お金にこだわる人の思いもわかるようになりました。

そして、長い長い思索の時間。
自分をかなり見つめ直すことができました。
厭世気分も他者への不信感も、すべては私に原因があることもよくわかりました。
嫌な自分も含めて、自分を素直に受け入れられそうです。
不安感も迷いも、払しょくできました。

お金がなくても、娘たちがいますので、大丈夫でしょう。
もちろん経済的に依存するという意味ではありません。
愛する人(この場合は節子ではなく娘たちです)がいれば、人は安心して生きられるものです。

節子
もう大丈夫だろうと思います。
節子がいなかったせいで、2年ほど、道に迷ってしまいました。
節子がいたら、「これもまた人生」と笑いあえたでしょうが。

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妻への挽歌12」カテゴリの記事

コメント

佐藤様  こんばんは

この2332の記事に私は驚愕をしてしまいました。
もちろん、いい意味です。

これほど人間は素直になれるのでしょうか
佐藤修という人生の先輩に出会えたことに、驚きと神秘さえ感じています。

そして、本物の人間(佐藤さん)の言葉が聞けたこと、この節子への挽歌2332に辿り着いたことは
私の妻の節ちゃんの導きだと確信しております。

記事を見ながら、これは私のことではないのか・・・と何度も読み返しています。
よく似た生き様と、似たような思想・・・亡き妻への思いも似ているのではと想像しております。


投稿: 山陰太郎 | 2014/01/20 22:41

山陰さん
いつもありがとうございます。

この挽歌に、私のありのままの気持ちを書くことで、私を鎮魂しているような気がします。
ただあまりにすべてを書いてしまうと、周りの人たちに迷惑をかけることがあります。
ですから、それでも少しは自重しているのです。
今回は、ちょっと書きすぎてしまったかもしれません。
心の平安を乱すような驚愕を与えてはいけませんよね。

しかし、山陰さんのこの挽歌へのコメントも、素直すぎるほど素直です。
ですから、お互いに驚くほどのことではないのです。

ご多用のご様子ですが、ご無理のありませんように。

倉吉はいいまちですね。
3回ほど、お伺いしたことがあります。

投稿: 佐藤修 | 2014/01/21 09:04

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