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2014/01/29

■フェイスブックはどこか落ち着かなさを感じます

最近フェイスブックに違和感を持ち始めています。
ある意味では面白いし、便利なのですが、なにかどこかに「落ち着かなさ」を感ずるのです。
私自身もやったことがあるのですが、食事の写真を出すことにどういう意味があるのでしょうか。
自分の生活実態をさらけ出すことで、世界とのつながりを感じたり、コミュニケーションを深めたりできるのでしょうか。
できるかもしれませんが、何か少し落ち着かなさを感じます。

自分をさらけ出すことで、自らを鼓舞するという意味もあるかもしれません。
あるいは、自らの活動への共感者や理解者を増やすことが期待できるかもしれません。
私自身、集まりを企画した場合、フェイスブックで誘うことによって、参加者を得ることも少なくありません。

自分が共感したことをフェイスブックでシェアし、自分の立場を表明したり、情報の拡散に寄与したりすることもできます。
その効用は小さくはありません。
しかし、フェイスブックはあまりに簡単にシェアできるので、自らが思考したり行動したりする姿勢がなくなってしまう恐れもあります。

書き手の生活ぶりが見えすぎてしまうのも、少し抵抗があります。
覗き見るような気がして、落ち着きません。
自分と比べて、羨望の念を持ったりすることだってあります。
無意識のうちに、人間関係に影響を与えることもあるような気もします。

まあいろいろとありますが、最近一番気になっているのは、なんだか社会が平板になっていくような気がしてならないことです。
要するに画一化の深化です。
それに、自分もまた、ネット世界の住民になっていくようで、少し不気味なのです。

そういいながらも、私自身、ネットやフェイスブックでの付き合いが増えてきています。
これからどうなっていくのか、どうも落ち着きません。

フェイスブックとどう付き合えばいいか。
これもまた悩ましい問題です。

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