■節子への挽歌2359:体調は戻りました
節子
2日間、自宅でゆっくりしたせいか、体調が戻りました。
胸の痛みも、ひざの痛みも、消えたようです。
私が「がたがただ」と書いたために、心配してメールしてくださった方もいますが、すみません。
すぐに書いてしまうのも、考えものです。
この思慮のなさも、節子からいつも注意されていたことです。
でもまあ近々、病院には行く予定です。
この2日間、自宅で何をやったかといえば、時評編にも書きましたが、韓国の歴史教科書(日本語訳)を小学校から高校まで3冊を読んでいました。
とても興味深かったです。
できれば、節子と行きたかったのが、韓国です。
ソウルではなく、韓国の慶州とか南の方です。
節子がいなくなったため海外旅行はやめましたので、もう行く機会はありませんが、いささかの心残りはあります。
もうひとつやったことは、録画していたテレビ番組「古寺名刹」の東福寺を観たことです。
東福寺には行ったことがありません。
娘から庭が良いと聞いていましたが、映像でもなかなかの庭でした。
なぜこんなに良いお寺に、節子と一緒に行かなかったのでしょうか。
理由は簡単で、節子とゆっくり京都と奈良を回ろうといっていた矢先の、節子の発病でした。
そして、必ず治ると確信していたがゆえに、一時、体調が回復した時にも、いつか二人でゆっくりと回ろうといっていた、奈良と京都には行かなかったのです。
あの頃の私の判断は、とんでもなく間違っていましたが、あの時はそれしか考えられませんでした。
行ってしまったら、それが最後の旅になってしまいそうだったのです。
韓国も京都にかぎりません。
節子と一緒に行こうといっていたのに、行けなかったところがたくさんあります。
2人が元気な40年近い時間を、私たちは一体、何をしていたのでしょうか。
後悔先に立たず、です。
できる時にやっておかないといけない、は節子の口癖だったはずなのに、どこでどう間違えてしまったのでしょうか。
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