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2014/02/02

■節子への挽歌2343:たわいない話がしたいです

節子
先日、湯島に来た私よりも若い友人が、最近、妻との会話がほとんどないというような話をしました。
私には信じられない話ですが、そういう夫婦が最近は少なくないのだそうです。
その友人が言うには、ただ面倒くさいだけなのだそうですが。
なんとまあ贅沢なことかと思いますが、たしかに誰かと話すことは面倒なことかもしれません。
考えやリズムが違うからです。
この挽歌のように、勝手に節子に話しかけるのは楽ですが、もし節子がこれを読んでいたら、事実と違うとか、私はそうは思わないとか、いろいろと言ってくるかもしれません。

人はそれぞれに言葉の受け止め方も違いますし、考え方も違いますから、会話がいつも滑らかに行くとは限りません。
意図しない意味に取られて相手を怒らすかもしれません。
あるいは相手の思いを誤解して、不愉快になることもあるかもしれません。
それに一緒にいる時間が長くなると、どんな相手も気に入らないことが見つかるかもしれません。
私たちも、そういうことが全くなかったわけではありません。
むしろそういうことは年中あって、喧嘩ばかりしていたような気もします。
しかし、会話が途切れたことはありません。
いったい何を話していたのか思い出せませんが、よく話をしていました。

そういう話し合う時間がなくなったことは、私にはいささか辛いことです。
だから時々、湯島にやってきた人に無性に話したくなることがあるのです。
人は話をすることで、たぶん精神のバランスをとっているのでしょう。
この挽歌は、いわば、そうした話すことの代償行為かもしれません。
しかし、話すのと違って、書くとなるとそれなりに意味のあることを書こうと思ってしまいます。
また見栄もはりたくなります。
そのせいか、時々、書けなくなってしまうのです。

それに比べて、夫婦の話はたわいないものでも盛り上がります。
むしろ、意味がないほうが話が弾むかもしれません。
たとえば、一昨日、駅に行く途中に、見たような顔の人が挨拶をしてきました。
とっさには思い出せなかったのですが、かかりつけの歯医者さんでした。
背広姿で、しかもマスクをしていなかったからです。
夫婦の会話であれば、そんな話題でも盛り上がるものです。

そういうたわいない話ができる夫婦関係のありがたみを、会話が途絶えてしまった夫婦には教えてやりたいものです。
たわいない話をすることは、人を元気にする大切な要素かもしれません。

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