■「自分が何をやっているか、もっと見ろ」
タイトルの言葉は、映画「ボーン・アルティメイタム」に出てくる言葉です。
屋上に追われた主人公のボーンに銃を向けた「殺し屋」に向って言う言葉です。
その殺し屋は、その少し前にボーンに助けられのですが、彼の「なぜ殺さなかったのか」という問いかけに、ボーンが応えた言葉です。
この映画は、DVDで、もう10回以上観ていますが、なぜか、いつもこの言葉が引っかかっています。
その理由が、今日、初めてわかりました。
昨日、「石器時代の経済学」について言及しましたが、先週、その本を読み終えてから、何か自分の生き方が基本的におかしかったのではないかという気がしてきました。
なんでこんなに忙しく生きてきたのだろうかという思いが強まってきています。
なんとなく、そのおかしさには気づき、25年前に会社を辞めたのですが、結局、その後も生き方は変わりませんでした。
主体的に生きる姿勢は強まりましたが、逆にさまざまなことに好奇心をかきたてられ、時間破産を続けるようになりました。
ハッと気づいて、生き方を変えようと思った矢先に、妻の胃がんが発見され、4年半後に妻を見送る羽目になってしまいました。
それ以来、いまだに立ち直れずにいます。
このブログには、挽歌編が並行して書かれていますが、それを読むとわかりますが、がんばっているようでも、どこか「腑抜けな生き方」になっていると思います。
妻がいるときに、なぜあんなに忙しく生きていたのかと思うと元気が出ないのです。
ボーンの言葉は、私自身に向けられた言葉だったのだと、今日、気づきました。
いや、私だけにではありません。
現代を生きる多くの人に向けられているのです。
私は「殺し屋」ではないのですが、もしかしたら、たいした違いはないのかもしれません。
誰でもよかったと自動車を歩道に乗り上げた若者が、また報道されています。
実に悲しい事件ですが、その責任は、こんな社会にしてしまった私たちにあることは否定できません。
「自分が何をやっているか、もっと見ろ」。
そして、
「自分が何をやっていないか、もっと見ろ」。
自分の生き方が社会をつくりだしているのです。
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