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2014/02/04

■もうひとつのキリスト教

私は、子どもの頃から、協会にある十字架で喘ぐキリストに違和感があり、どうしてもキリスト教にはなじめませんでした。
血を求める残虐な神のイメージが植えつけられてしまったのです。
遠藤周作の「沈黙」は、さらにその違和感を高めました。
一方で、クリスチャンの人たちの善意と誠意を感じながらも、どうしてもキリスト教には共感できないでいます。

昨年末に河出書房新社から翻訳が出版された「『ユダ福音書』の謎を解く」を読みました。
そこに、「もうひとつのキリスト教」が示唆されていました。
とても共感できるものであり、長年の疑問が払拭された感じです。
1冊の本で、イメージが変わってしまうというのも軽率に感じられるでしょうが、私が長年求めていたことが、まさにそこに書かれていたからです。

「ユダ福音書」は、ユダの復権などという瑣末な話ではなく、贖罪論というキリスト教の根本教義に真っ向から反論する福音書です。
著者(もちろんユダではありません)は、当時(2世紀)の正統キリスト教が、礼拝において、犠牲と見なされる十字架上の死を再現し、それを聖餐において「祝う」ことに異を唱えます。
それは決して、イエスが望んだことではないというのです。
イエスは、ローマの生贄儀式を拒否しましたが、12使徒たちの司祭集団は、イエスの死は人間の罪を償う犠牲であると断言し、殉教は神に喜ばれる犠牲であったと主張することにより、結果として生贄の犠牲をキリスト教の礼拝式の中心に戻してしまったのです。
イエスは、弟子たちが聖餐儀礼を行なおうとしていることに対して、それは真実の神ではなく、間違って「あなたたちの神」を礼拝していることだと指摘しますが、その意味を理解したのはユダだけだった、と『ユダ福音書』の著者は述べています。
そして、イエスは、真実の神への信仰を、ユダに託したのです。

以上が、ユダ福音書の概要ですが、そこに大きなメッセージが込められていると、本書の翻訳者は書いています。
たとえば、犠牲という名のシステムの隠された仕掛けへの気づきです。
「「神のために死ぬ=殉教」という論理は、民衆が国家のために華々しく散っていくという論理に通じるものがあり、これは危険きわまりない論理です」と訳者は書いています。
それは、9.11後の世界や3.11後の日本の人々の意識にも、大きな影響を与えているというのです。

では、真実の神への信仰とは何か。
本書にはこう書かれています。

『ユダ福音書』は、新約聖書の福音書と同様に、永遠の命にいたる道筋を示しているが、その道筋への手がかりは、肉体としての体で生きることではない。それは、神にたいする人間の霊的なつながりの理解にかかっている。つまり、天地創造の秘義を理解し、人間が神の「似姿において」創造されていることを自覚した者だけが、聖霊の領域に住まうことができるというのである。
これだけではよくわかりませんね。
ヒントは、『創世記』にある「人間が神の「似姿」において創造された」ということです。
つまり、真の神が宿る光のなかに宿る人間の原初の本質(霊的本性)に気づくということです。
それは、いわゆる「堕天使」たちよりも、神に近いのです。
神は、私の中にいる。
仏教の思想とつながってきます。

本書で知ったのですが、人類の母であるエヴァは、ギリシア語では「ゾーエー」と言うのだそうです。
私には、実に腑に落ちる話です。

訳者の山形さんは、『ユダ福音書』の福音を「もうひとつのキリスト教」と言っています。
このキリスト教であれば、私も抵抗なく共感できます。
以前、アウシュビッツを体験したフランクルのキリスト教理解を知って安堵したと書いたことがありますが、そのことが思い出されます。

訳者のお2人が書いているように、本書は贖罪論の危険性への警告の書でもあります。
昨今のNPOブームにも気持ちの悪さを感じている私としては、ぜひ多くの人に読んでいただきたくて、紹介させてもらいました。
できれば、クリスチャンの方に、いつか本書の解説をしていただき、話し合いをもてればと思います。
問題提起してくださるクリスチャンの方がいたら、ぜひご連絡下さい。

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