■節子への挽歌2344:彼岸は天国か
節子
今日は節子の月命日です。
以前は月命日にはお墓参りをし、自宅で節子を偲んでいました。
ところが6年も経つと、だんだん手抜きになり、お墓まいりも行かず、外出の用事をいれてしまったりするようになってきてしまいました。
困ったものです。
節子は私のことをよく知っているから、まあそんなものだろうと笑って許してくれるでしょう。
もし私と節子との立場が逆だったら、間違いなく節子も私と同じだろうと思いますし。
今日は自宅にいることにしました。
お墓は寒いのでやめましたが。
それでもやはり外出したくなり、午後には外出してしまいました。
その気になれば、いろいろと用事はあるのです。
時評編に少し書こうと思いますが、昨日、『「ユダ福音書」の謎を解く』という本を読みました。
ユダ福音書は、確か1970年代に発見された異端の書です。
数年前から日本でも話題になっていましたが、きちんと読んだことはありませんでした。
しかし、娘が読んでいたので借りて読みました。
実に驚きの内容でした。
まさに「もうひとつのキリスト教」です。
それによれば、肉体の死の先には、不死の世界があるというのです。
ただすべての人が、そこに行けるわけではなさそうです。
この本だけではよくわかりませんが、イエスの12信徒たちは行けなかったようです。
行けたのはユダだけです。
読んでいて、輪廻転生や解脱のことを想像しましたが、これまで、彼岸は最終地なのか転生の過程地なのかは、あまり考えたことがありませんでした。
どちらなのでしょうか。
もし、転生の過程の世界であれば、節子が次の人生に転生しないうちに、彼岸に行かねばなりません。
ちなみに、「ユダ福音書」によれば、パウロは行けなかったであろう真の天国に、私はたぶん行けるでしょう。
節子もたぶん行っているでしょう。
私たちは、過剰にではなく、それなりに、自らに誠実に生きているからです。
彼岸は、永遠の最終地である天国かもしれません。
しかし、それではちょっと退屈です。
やはりもう少し転生を繰り返したい気がします。
節子はどう思っているでしょうか。
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