■社会は生きるための生活の場なのか、稼ぎのための市場なのか
記録的な大雪で、各地で深刻な被害が多発しています。
その報道を見ながら、日本の社会は壊れていると思っていましたが、そんなことはないと思い直しました。
高速道路で動けないでいるトラックの運転手に、お弁当を配ったり、近くの公民館を開放して、住民のみなさんがみんなでおにぎりをつくったりしている姿を見ると、つくづく日本は良い国だと思ってしまいます。
その一方で、浜岡原発が再稼動に向って動いているという報道を見ると、やはりおかしいのではないかなどとも思うわけですが、どうも頭が整理できません。
とても住みやすい社会があり、その社会を市場と考えている人がいる。
つまり、ふたつの別々の社会がある。
もしかしたら、そういう構造になっているのかもしれません。
この構造は、どこか「振り込め詐欺」の構造と似ています。
別の社会の人が、ちょっかいを出して、住みやすさの邪魔をする。
もしかしたら、今回の大雪でも、利益をあげている人もいるかもしれません。
浜岡原発を再稼動しようとしている人たちは、原発事故とは無縁の社会に住んでいる。
そういえば、3.11福島原発事故の後、関西のマンションがよく売れたという話を京都の人から聞いたのを思い出しました。
社会を市場と考えている人には、問題発生はビジネスチャンスと見えるのかもしれません。
そこで生きている人には、みんなで解決する課題と見えるのでしょうが。
そして、その解決の過程で、人のつながりが育ち、幸せになれるかもしれません。
市場と考えている人たちは、お金が儲かって幸せになれるのでしょうか。
どちらの人が「幸せ」でしょうか。
やはり前者でしょうが、感情的にはちょっと納得できない気もします。
お金を稼いで、湯水のように使ってみたいという誘惑は、やはりどこかにある。
困ったものです。
それにしても、社会を市場と考えている人たちは、いったいどこに住んでいるのでしょうか。
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