■節子への挽歌2366:「自分が何をやっているか、もっと見ろ」
節子
今日の挽歌のタイトルは、時評編と同じです。
タイトルだけではなく、中味もほぼ同じです。
タイトルの言葉は、映画「ボーン・アルティメイタム」に出てくる言葉です。
屋上に追われた主人公のボーンに銃を向けた「殺し屋」に向って言う言葉です。
その殺し屋は、その少し前にボーンに助けられのですが、彼の「なぜ殺さなかったのか」という問いかけに、ボーンが応えた言葉です。
この映画は、DVDで、もう10回以上観ていますが、なぜか、いつもこの言葉が引っかかっています。
その理由が、今日、初めてわかりました。
昨日、「石器時代の経済学」について言及しましたが、先週、その本を読み終えてから、何か自分の生き方が基本的におかしかったのではないかという気がしてきました。
なんでこんなに忙しく生きてきたのだろうかという思いが強まってきています。
なんとなく、そのおかしさには気づき、25年前に会社を辞めたのですが、結局、その後も生き方は変わりませんでした。
主体的に生きる姿勢は強まりましたが、逆にさまざまなことに好奇心をかきたてられ、時間破産を続けるようになりました。
考えてみれば、その私の時間破産の生活に、節子を巻き込んでしまったのです。
しかも収入は、不安定になり、借金までたまりました。
ハッと気づいて、生き方を変えようと思った矢先に、節子の胃がんが発見され、4年半後に節子を見送る羽目になってしまいました。
それ以来、いまだに立ち直れずにいます。
この挽歌編を読むとわかりますが、今の私は「腑抜けな生き方」になっていると思います。
節子がいるときに、なぜあんなに忙しく生きていたのかと思うと元気が出ないのです。
ボーンの言葉は、私自身に向けられた言葉だったのだと、今日、気づきました。
自分の生き方が、もしかしたら、節子を早く旅立たせたのではないのか。
もしそうだとしても、もう取り返しがつきません。
救いのない人生を、これからも続けなければいけませんが、ボーンの言葉は、もしかしたら、そこから抜け出せといっているのかもしれません。
「自分が何をやっているか、もっと見ろ」。
そして、
「自分が何をやっていないか、もっと見ろ」。
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