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2014/02/25

■節子への挽歌2367:春に花を咲かせる生命力

節子
今日はとても気持ちのよい、春を感じさせる日です。
午前中は自宅で、少しぜいたくな時間を過ごしています。
昨日、書きましたが、やはり少し生き方を見直したほうがいいでしょう。
そうすれば、社会への怒りも鎮まるでしょう。

わが家はリビングとダイニングがつながっていますが、午前中はダイニングへの日当たりがよく、そこで外を見ながら、George Winston の SUMMER をCDで聴いています。
George Winstonを聴くのは久しぶりです。
どこか探せば、彼の SPRINGもあるはずですが、まあ探すのも面倒なので、リビングに出しっぱなしになっていたSUMMERを聴いているわけです。
一昨日、金田さんから届いたチューリップが、陽射しを受けて輝いています。
朝から3杯目の珈琲を飲みながら、外の手賀沼を見ていると、心がやすまります。
そういえば、昨日、佐久間さんから上座部仏教の根本経典「メッタ・スッタ」の自由訳が届きました。
それも読むことにしましょう。
実に久しぶりの、内省の時間です。

本来であれば、ここに節子がいて、意味もない会話を楽しんでいるはずだったのです。
そう思うと、一瞬にして、心のやすらぎは消えてしまい、さびしさに襲われます。
内省へと心が向うまでには、どうもまだ未練から抜け出せていないようです。
それに、George Winstonのソロピアノは、いかにも回顧的です。
選曲を間違えてしまったようです。

しかし、何もしないで、外を見ていると、たしかに自分の生き方のおかしさに気づきます。
こんなにのどかで気持ちのよい世界がある。
にもかかわらず、どうしてみんな外もあまり見えないところで、多くの時間を過ごさなければいけないのか。
いえ、他者の話ではなく、私はなんで一番活動できる時に、暮らしと切り離した仕事に、あれほどの没頭していたのだろうか。
それで、いったい、何が変わったというのか。

ガラス越しにぼんやりと外を見ていると、庭の花が咲き出していることに改めて気づきます。
春が来れば花が咲き出す。
土台、何かを変えようなどと思うことに間違いがあるのかもしれません。
すなおに生きることこそ、世界を変えることかもしれません。
いや、自分を変えることかもしれない。
植物の生き方に学ばねばなりません。


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