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2014/02/23

■「貧困は文明とともに成長してきた」

タイトルの「貧困は文明とともに成長してきた」は、経済人類学者のマーシャル・サーリンズの言葉です。
少し前の記事で、「経済成長と格差」についての2つの関係を書きました。
そのことからいえば、格差をなくす文明と格差に支えられる文明があるのかもしれません。
サーリンズの代表的な著作「石器時代の経済学」の第1章は、「始原のあふれる社会」です。
それは石器時代の社会が、豊かさであふれる社会だった意味です。
しかし、それに続く章で、その豊かさは現代の私たちが考える豊かさとは違うこともまた書いています。
おそらく石器時代の文明と現代の文明は、価値基準が違うのでしょう。
実際には、私たちは石器時代には「文明」がなかったと考えているわけです。

その著書からいくつかの象徴的な話を引用してみましょう。
たとえば、サーリンズはこう書いています。

一人当りの労働量は、文化の進化につれて増大し、余暇量は減少したのである。
狩猟=採集民(とりわけ、限界的な環境にすんでいる人々)についての、昨今の民族学的報告によると、20世紀の狩猟=採集民は、食べ物の生産のために、成人労働者一人一日当り、平均3時間から4時間しかついやしていないのだそうです。
では、それ以外の時間はなにをしていたか。
睡眠時間が多かったことだけは事実です。

また、サーリンズは、狩猟民にとって「富は重荷」だと書いています。
移動することが多かった彼らにとって、文字通り「重荷」になるからです。
サーリンズは、こう書いています。

狩猟=採集民は、何ももたないから、貧乏だと、われわれは考えがちである。むしろそのゆえに彼らは自由なのだと、考えた方がよいだろう。「きわめて限られた物的所有物のおかげで、彼らは、日々の必需品にかんする心配からまったくまぬがれており、生活を享受しているのである。
それでも当時は安定した食べ物が確保されずに、飢餓に陥ることが多かったのではないかと私たちは考えがちです。
たしかにそうだったでしょう。
しかし、サーリンズは、こう鋭く指摘します。
今日の世界においても、人類の3分の1あるいは2分の1もが、毎晩空き腹をかかえて、寝につく、といわれている。石器時代では、その比率は、もっと小さかったにちがいない。前代未聞の飢えの世紀、それが現代なのだ。いま、最大の技術力をもっているこの時代に、飢餓が一つの制度となっている。古ぼけたあの定式を、いまやこう転倒させよう。文化の進歩につれて、飢えの量は、相対的にも絶対的にも増大してきた、と。
人類は、富みながらかつ同時に貧しくなってきた、という、サーリンズの言葉に、私はとても共感しています。
この流れからぬめることは可能でしょうか。

格差をなくすことを経済成長と考える経済学が生まれれば、それができるかもしれません。
アメリカでは、すでに「ケアリング・エコノミクス」なる発想が生まれています。
経済成長の意味を変える時代が来ているように思います。

ちなみに、サーリンズが指摘していることは、日本社会においても、この50年間の変化のなかにも読み取れることかもしれません。

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