■気温の上昇が先で二酸化炭素の増加が後である
相変わらず福島の原発事故現場では、「コントロール」を逸脱したトラブルが頻発しています。
にもかかわらず、一方では、避難地区の解除の動きも報道されています。
今朝の朝日新聞には、60年たっても故郷に戻れないビキニ島民たちのことが1面のトップ記事になっていますが、そんな間接話法はやめて、福島の問題をもっときちんと報道すべきだろうと思います。
最近のマスコミは、二枚舌を使うようになってきた感じがします。
だから、読者はわけがわからなくなりかねません。
ところで、先日、「いまさら訊けない放射能」というサロンをやった時に、二酸化炭素による地球温暖化仮説の話を少しだけさせてもらいました。
原発推進の根拠とされたのが、脱二酸化炭素のクリーンエネルギー論であり、発電コストの安さでした。
いずれも、ほんの一部だけを取り出した議論ですが、マスコミがそれを増幅したために、いまもなお多くの人はそれを信じているようです。
一度、思い込んでしまうと人はなかなか考えを変えられません。
学んだことを前提に、自分の世界をつくりあげていくからです。
知とは無知のことだといったソクラテスは、アテネの市民によって死刑にされましたが、同じようなことが現代の日本においても相変わらず行なわれています。
ところで、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)といえば、ノーベル平和賞を受賞した組織ですが、商業主義に魂を売ったノーベル賞の化けの皮をはがしたとして、話題にもなったところです。
私は、オリンピック同様、ノーベル賞も、いまや完全に金銭儲け主義者たちに乗っ取られてしまったという「偏見」を持っていますが、まだ日本ではIPCCは「権威」ある存在なのでしょう。
そのIPCCの最近(といってももうかなり前ですが)の報告書に、「気温の上昇が先で二酸化炭素の増加が後である」と明言されているようです。
私は、その報告書をネットで拾い読みしかしていないので、「ようです」としかいえないのですが、これはたぶん多くの人の常識には反するでしょう。
つまり、地球温暖化は二酸化炭素の増加のためではないということです。
天文学的な大きな流れの中で、地球の温暖化が進み、その結果、地表の二酸化炭素濃度が増えているというわけです。
もっとも、以前も書きましたが、私自身は地球の温暖化にも疑問を感じています。
仮に温暖化しているとしても、それはもっと長期的な問題として把握すべきで、少なくとも数十年の単位であれこれ騒ぐ話ではないだろうと思っています。
科学の話と日常生活の話を混同してはいけません。
むしろ問題の構造化が、あまりにも短絡していることに、作為を感じます。
二酸化炭素増による地球温暖化の危機 → 二酸化炭素を出さない原発はクリーンなエネルギー → だから原発を推進しよう。
つまり、原発の発電コストが水力や火力より安いということが、原発推進のために作られた「嘘」だったように、二酸化炭素問題を広げたのは、原発指針のためだったのかもしれません。
もしそうならば、原発を進めたのは、核兵器のためだったという見方も、あながち否定できないかもしれません。
世間で喧伝される話には、どうも大きな「裏」がある。
そう思って、マスコミの報道に対峙しないといけないようです。
私自身は「権力」や「権威」が明言する話には、いつも懐疑的です。
しかし、現場の名もない人の発する話には、いつも共感を持つようにしています。
そこに、間違いのない「真実」を垣間見るからです。
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