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2014/02/15

■2種類のお金

昨夜はまた大雪でした。
私は雪の中を湯島に出かけましたが、昨日は心底、疲れてしまい、帰宅後、何もする気になれず、お風呂に浸かったまま寝てしまいました。
まあ溺死はまぬかれましたが。

一昨日のサロンで、お金が大切か、愛が大切かというような話が少し出ました。
帰宅したら、お金がなくなって、もう一緒に生きていけないので、相手を殺害してしまったという事件が報道されていました。
お金の意味も、愛の意味も、なにやら私の理解とは大きくずれてきているような気がします。

そういえば、朝ドラの「ごちそうさん」で、おにぎりがあって、それを食べないと死んでしまうが、隣にも同じような人がいたら、そのおにぎりを挙げられますか、などというセリフがありました。

愛もお金も、本来は人をついでいくための、あるいは生きやすくするための、ものだったのだろうと思います。
生まれたばかりの子どもの笑顔は、愛が人間に生来的にそなわっている本性だということがわかります。
お金を落として、帰りの交通費がない人がいたら、たとえ財布の中にわずかばかりのお金しかなくとも、多くの人は財布の口を開くでしょう。
理屈ではそんなことはないと思うかもしれませんが、実際にそういう場面に遭遇したら、そうするのが人間です。
現実は知識で動いているのでありません。
赤ちゃんの笑顔を奪うことが学校教育であってはなりません。
ましてや、学校で投資の話などしようと思うのは、子どもたちから生きる力を奪うことでしかありません。

また話がずれてきてしまいました。
一昨日のサロンで、お金には2種類あると話させてもらいました。
つながりを育てるお金とつながりをこわすお金です。
つながりを、「愛」に言い換えてもいいでしょう。
お金は、「おにぎり」に言い換えてもいい。

急にお金の話を書いてしまいましたが、
最近、私自身がお金で苦労しているせいか、お金のことがこれまでとは違って、少しわかってきました。
お金とは「愛」の別名なのかもしれません。
だから、愛があればお金は不要、お金があれば愛は不要というわけです。
誤解されそうな表現ですが、誤解もまた理解の別名ですから、いいでしょう。
いずれにしろ、愛もお金も、自分の生き方に、鋭く突き刺さってきます。

最近、経済人類学の本を何冊か読み直しました。
以前読んだ時にはあまり理解できていなかったのですが、今回はお金の話がとても興味深かったです。
お金は、人をつなげていくために生まれてきたのです。
金融工学者の手から取り戻さなければいけません。
どうしたらいいでしょうか。
一度、支え合い共創サロンで、コモンズ通過について問題提起しようかと思います。

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