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2014/02/22

■オリンピックの特殊な雰囲気

最近のテレビはオリンピックの報道で埋め尽くされているような気がしますが、そのため、オリンピックに無関心の私でさえ、見る機会が増えています。
しかし、感ずるのはやはり、スポーツの痛々しさです。
「オリンピックの特殊な雰囲気」というような言葉がよくつかわれていますが、それはどういう意味なのでしょうか。
みんなを異常にさせる何かがあるのでしょうか。
その言葉からは、単に大きな大会だから緊張するというような意味を超えたものを感じます。

メダルを獲得した人はいいのですが、獲得できなかった人の痛々しさも感じます。
浅田選手のショートプログラムとフリーのあまりにも大きな格差は、なぜ起こったのでしょうか。
SPは責任感を背負ったあまり動けなくなり、フリーはメダルから解放されてのびのびと滑れたからでしょうか。
どこかにおかしさと痛々しさを感じます。

アクロバットのような種目も増えました。
これが何でスポーツなのかと思うのは、私の偏見でしょうか。
それに人間の感覚では識別できないようなわずかな時間差で優劣が決まるのも私には馴染めません。
もっとおおらかにスポーツを楽しむことはできないのでしょうか。

メダルを獲得すると報奨金が出るところが多いそうですが、今回もある国の選手は、金メダルを3つ獲得した結果、普段の年収の64年分の賞金を得たという報道が今日のテレビで流れていました。
どう考えてもおかしいように思います。
もっとも田中将大選手への年収に比べたら、大したことはないのかもしれません。

オリンピックが政治に利用されるのは仕方がないとしても、スポーツそのものが変質してしまっているような気がしてなりません。
これも「汎市場化」という流れのひとつなのでしょうか。

やはりオリンピックは好きになれません。

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