■節子への挽歌2353:父の命日
節子
また雪がちらついています。
今日も寒い日です。
今日は父の命日ですが、父の葬儀の日もとても寒い日でした。
私たちが最初の家族を見送った日です。
もう26年前になりますが、それから10年後に、母を見送りました。
そしてその10年後に、節子を見送ったことになります。
これは娘が気づかせてくれたのですが、その流れから言うと、節子が旅立った10年後に私の番がやってくるわけです。
あと3~4年です。
この規則性はわかりやすいので、守ったほうがいいように思いますが、そううまくいくかどうかはわかりません。
まあしかし、それを念頭において、これからの3~4年を過ごそうかと思います。
それを念頭に置くことで、生き方が変わるかもしれません。
節子のお父さんの葬儀も冬でした。
滋賀の高月での葬儀でしたが、まだ「伝統文化」を感じさせる葬儀でした。
娘が葬列の前を白衣で歩いていたのを覚えています。
3日も続く葬儀に、私は飲めない酒に苦労していましたが、これが「葬儀」なのだと思ったものです。
そういう葬儀に比べれば、昨今の葬儀は忙しいです。
節子は私の両親と途中から同居しました。
私の両親は、私よりも節子に気安さを感じていたかもしれません。
私は、両親に親孝行らしいことは何もしていませんが、唯一の親孝行は、節子と結婚したことかもしれません。
私の両親は、節子をとても気に入っていました。
しかし、途中からの同居は、節子にはいろいろと大変だったのかもしれません。
両親が亡くなってしばらくしてから、私は良い嫁になろうとしていたのかもしれないと、ふと漏らしたことがありました。
そうした節子の気持ちを、私ももう少し理解するべきだったかもしれません。
雪はまだ降っています。
体調もあまりよくないのですが、娘も同行してくれるそうですので、思い切って、父のお墓参りに行くことにしました。
節子も雪の中を待っているかもしれませんし。
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