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2014/02/18

■節子への挽歌2361:開き直りのケア論

節子
最近、ブログに弱気な記事を書いているせいか、いろんな人が心配してメールをくれます。
まさかと思っていた人からのメールには驚かされますが、退屈な愚痴記事を読んでくださっている人がいるのは元気づけられます。
今日も、1年半ぶりだと言って、まだお会いしたことのない人からメールが来ました。
うれしいことです。

今日は、3月に開催することにした2つの「自殺対策」をテーマにした集まりの準備の打ち合わせのため、湯島に来ました。
大企業の部長の職にある人たちが、集まりの実行委員になってくれましたが、テーマが「自殺」なので、多くの人は腰が引けてしまうようです。
今回来てくれた3人も、佐藤さんからでなければスルーしたと正直に教えてくれました。
もう5年ほど、この活動に関わっていますが、わかってもらうまではなかなか大変です。

準備会などでも、話し合って、問題をそれぞれ消化していくのが私のスタイルです。
ですから、準備会や実行委員会こそが、生々しい話し合いができます。
今日も、「自殺する権利」ということが議論されました。
さまざまな人がいる公開の場では、なかなかこうした議論はできませんが、少人数で時間も制限なく話し合う場合は、どんな議論も可能です。
自殺する権利を言い出した人は、近くで自殺を体験したそうですが、その人のことをわかってやることが大切だという意味で、「権利」という言葉を使いました。
「自殺」した人への冷ややかな、あるいは非難のこもった思いがあったことへの、その人の反発は、その人のやさしさの表れだろうと思います。

私が取り組みだしたネットワークは、「自殺のない社会づくり」という名前にしましたが、自死遺族の方から、その表現だと、自死した人が悪いようで、責められているような気がするといわれました。
そこで、いまは「自殺に追い込まれることのない社会」というような表現にしています。
こうしたことは、当事者でなければなければわからないことです。
私も伴侶を病死で喪って以来、それまではなんでもなかった言葉や言い回しが、とても気になるようになってしまいました。
その体験のおかげで、こういう意見にもきちんと耳を傾けられるようになったのです。
言葉は、人によって、まったく意味が変わってくるものなのです。

最近の私の体調や愚痴の話に戻せば、さまざまな社会の痛みに触れていると、それが時々鬱積して、不安感を高め、免疫力を低下させ、体調を崩すのです。
以前は、それを防いでくれたのが節子でしたが、いまは解決しようがありません。
ですから、定期的に体調がダウンし、愚痴や弱音が増えるのは、むしろ「健全さ」の表れなのです。
ご心配をおかけしてすみません。

しかし、誰かに心配させるのも、ケア活動のひとつではないかと、私は勝手に思っています。
「開き直り」にしか聞こえないでしょうが、そう思うと、きっと生きやすくなります。
ぜひお試し下さい。

すみません。はい。

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