■節子への挽歌2347:雪と炎
節子
朝起きたら、隣家の屋根が真っ白でした。
今年初めての雪景色でした。
大日寺の庄崎さんに、節子が白い花に囲まれているという話を聞いてから、白い風景と節子が結びつくようになってしまっています。
そういえば、庄崎さんのお話を録音してきたのですが、未だに聞きなおしていません。
もう消えてしまったかもしれません。
なぜ聞く気がしないのでしょうか。
われながら不思議ですが、ともかくいまも聞こうという気にはなれません。
思い出したくないからでしょうか。
加野さんは、いまも毎月、大日寺で娘さんとの交流を続けているのでしょうか。
電話でお話しするかぎり、加野さんは前よりもお元気そうです。
彼岸から気をもらっているのかもしれません。
私も、最近、そんな気がしています。
気をもらわなければ、やっていけないはずですし。
大日寺でのろうそくの炎の動きは、いまも鮮明に思い出します。
わが家の仏壇はとても小さなサイズなので、そこに立てるろうそくも小さなものです。
朝晩に必ず点火するのですが、炎は揺らぎません。
節子がいるのかどうか、張り合いがありませんが、平安に過ごしているからかもしれません。
しかし、小さくても炎を見ていると心は揺らぎます。
雪を見ても、心は揺らぐのですが。
雪と炎。
いずれも彼岸につながっているような気がします。
今日はいつもよりも大きなろうそくをともしました。
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コメント
佐藤様 お久しぶりです
私は雪と震えるような寒さは、忘れることのできないことになってしまいました。
雪と寒には、嫌な思い出と、懐かしい思い出が混在しています
妻との本格的なお出かけは、出逢った頃の冬山登山の積雪との格闘でした。
唯一写真が一枚モノクロで残っています。
そして、その登山から45年後、極寒の雪道を妻を助手席に、狂人のごとく病院へ
どちらもなぜか極寒の日でした。
今は二月の雪は、私にとっては深く脳裏に刻まれた、ひとつの遺伝子になっているようです
この強い想いは、あの世へと届いていると信じております。
あの世(彼岸)は強く想いを届けたたい人がいる限り、存在するように思います。
あの世から亡き人に見続けられては困る人は、あの世は存在しない方が便利なようですね
燃え盛る炎を見ていると、様々な模様が浮かんでは消えます。
その一瞬に、亡き人の姿が描き出されるのでしょうか
蝋燭のような小さな炎も、見ていると様々な形状に変化をしていきます。
しかし、あの世に最愛の人がいないと、皆同じ炎に見えるでしょうね
それほど炎の変化は、小さなものですから
それでは またおじゃまさせて頂きます。
投稿: 山陰太郎 | 2014/02/06 06:19