■節子への挽歌2349:久しぶりに節子に会いました
節子
久しぶりに節子に会いました。
グリーンのセーターを着ていました。
少しやせてしまいましたね。
といっても、夢の中です。
夢で、節子の気配を感ずることは多いのですが、節子の姿を見たのは本当に久しぶりです。
死んだはずなのに、どうしてここにいるのだろうかと、まず思いました。
そうか、死んだけれどもこうやって姿が見えるのだから、それでいいじゃないか、と次に思いました。
節子は、私には話しかけずに、ベッドの布団をベランダに干しだしました。
もしかして、それが気になっていたのでしょうか。
そこで目が覚めましたが、思い出せるのは緑のセーターと布団を干してくれたことです。
それで、起きてすぐに、自分で布団をベランダに干しました。
寒い日でしたが、幸いに陽射しがあたたかでした。
今夜はたぶん太陽と一緒に、節子の温もりもあるでしょう。
まあ、こんな話は、意味もない話だと思われるでしょう。
実際に、意味もない話です。
しかし、そんなことにも大きな意味を感ずるのが、たぶん喪失体験者の実際なのです。
昨夜、「自殺に追い込まれるようなことのない社会をどう育てるか」をテーマにしたラウンドセッションを開催しようと賛成してくれた人に集まってもらいました。
そこで、フランクルのロゴセラピーの話が出ました。
フランクルは、愛する家族を失った後も、アウシュビッツで辛い体験をし、そこで「生きる意味」についての大きな気づきを得ました。
それに関しては、何回か書きましたが、フランクルはアウシュビッツで夢を見たでしょうか。
もしかしたら著書に書かれているのかもしれませんが、私の記憶にはありません。
しかし、間違いなく見たはずです。
そして、その夢がフランクルに大きな影響を与えたのではないかと思います。
朝、位牌に向って、節子にありがとうと言いました。
そのおかげで、今日は、おだやかな1日を過ごせました。
娘たちを誘って、夕食を食べに行こうと思います。
節子も、もちろん一緒です。
本当に久しぶりです。
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