■節子への挽歌2396:悲しむ力
節子
先日、この挽歌にも書いた中下大樹さんの著書に「悲しむ力」というのがあります。
中下さんが直接に聞いた、死にまつわる30の言葉を軸に、日本人の死生観を書いた、とてもいい本です。
佐久間庸和さんも、その本をブログで取り上げています。
中下さんはその本の中で、今の日本に足りないのは「悲しむカ」ではないかと書いています。
中下さんがそう思ったのは、東日本大震災の時に、日本中で「がんばろう」コールが起こった時だったそうです。
被災地の現場で活動していた中下さんが感じたのは次のようなことでした。
少し長いですが、引用させてもらいます。
私たちは日々、仕事や生活に追われています。少し気を緩めれば、誰かに追い抜かれてしまうかもしれない。一度追い抜かれたら、そのまま脱落してしまうかもしれない。仕事だけでなく、生活そのものを失ってしまうかもしれない。そんなプレッシャーを感じながら、厳しい競争にさらされています。だからこそ私たちは、悲しみをできるだけ見ないようにやり過ごしています。誰かの悲しみを自分のことのように悲しんだり、自分の中にある悲しみを見つめたりすることは、時間の損失にしかならないからです。そうする中で私たちは、「縁」を磨いたり、つないだり、育んだりする方法を、忘れてしまったのではないでしょうか。とても共感できます。
そして、この未曾有の大震災においても、「いつまでも悲しみに浸っていては厳しい競争社会を生き抜くことはできない」「いち早く立ち直らなくては、世界に置いていかれてしまう」。日本中が、そんな焦燥感を持っているように感じました。
しかし蓋をした悲しみが消えてなくなることはありません。どこかでくすぶり続け、トラウマのように私たちを苦しめ続けるのです。だからこそ、今、目の前にある悲しみから目をそらしてはいけないのです。
私は、すでに競争社会からは抜け出て、自分好みの人生に転じてしまっていますので、思う存分に悲しむことに身を任せていますが、その経験からも、中下さんがいう「悲しむ力」はわかります。
自らの悲しみに正面から素直に向かうことで、自分の世界が大きく広がったような気がします。
それに、他者の悲しみも、少しは見えるようになってきました。
悲しみを忘れようとすることもありません。
悲しみは、いつになっても悲しいものです。
それを忘れようとは思いもしません。
悲しみを語ることが、自分を元気にすることは、何回も体験しています。
そして、悲しみを共にすることもまた、大きな力を生み出すこともわかってきました。
しかし、中下さんの本を読むまでは、「悲しむことの効用」を意識してはいませんでした。
「悲しむ力」とは、とてもいい言葉だと思います。
悲しい時には悲しむのがいい。
悲しみの多い人ほど、生きる力も大きくなる。
もしかしたら、生きることとは悲しむことかもしれません。
悲しむことが生きることかもしれない。
そんな気がしてきました。
明日から4月です。
悲しむ力を支えにして、とりあえず、少し前に動き出そうと思います。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント