■節子への挽歌2387:変わり者の4人の仲間がまた一人減りました
鎌倉の宮澤さんから電話がありました。
宮澤さんはもう85歳です。
節子も会ったことがありますが、現役時代は某社の役員をされていました。
私と会った時にもまだ役員をされていましたが、私自身は相手が社長であろうと失業者であろうと全く意味はありません。
誰とでも、一人の人間として付き合うのが信条です。
宮澤さんとは、そういう意味で付き合い仲間は3人いました。
社会で成功して、それなりの地位を得てしまうと、生きにくくなるものです。
だから逆に、そういう人間としてのフラットな付き合いは新鮮だったのかもしれません。
しかし、節子がいなくなってからはその3人とも付き合いが途絶えていました。
その一人は数年前に亡くなりましたが、もう一人が亡くなったという電話でした。
宮澤さんは元気そうでした。
ところが、最近、進行性の胃がんが発見されたそうです。
その手術で入院する前に、私と話したいと電話してくれたのです。
節子が亡くなった後の私のことを気にしていてくれたのです。
そして、もう佐藤さんしかいないので、元気にしていてください、といわれました。
退院してきたら、お会いする約束をしました。
宮澤さんとの4人の仲間は,いずれもかなりの変わり者でした。
私だけがひとまわり若かったのですが、そのおかげで私は少しだけ大事にされました。
正確に言えば、3人プラス私という構図だったかもしれません。
私は、いつも、ある意味では「子ども扱い」でしたから。
それに、私が一番社会から脱落していたかもしれません。
元気になった宮澤さんとお会いするのが楽しみです。
しかし、最後に宮澤さんが言いました。
この歳になると何が起こってもおかしくない、と。
たしかにそうです。
それは私自身のことでもあるのですが。
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