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2014/03/28

■節子への挽歌2392:庭のテーブルに節子が見えるような気がします

節子
今日はいい天気です。
庭の花もだいぶ華やかになってきました。
桜は全滅でしたが、なぜか今年は水仙がすごいです。
花の様子も年々、変わっています。
まあ、しかし節子が戻ってきたら、嘆くことでしょう。
野草コーナーはほぼ全滅ですし、多様性よりも草花の種類は明らかに減少しています。
節子が大事にしていたものも、かなり枯らしてしまいました。

世界は多様だからこそ豊かだと、私は思っています。
さまざまな人との交流が、私の世界を豊かにしてくれていることは間違いありません。
しかし、その一方で、いつかは多様な世界から離れて、節子と2人だけの老夫婦のくらしをしたいと思っていました。
その夢はかなえられませんでした。

日差しを受けている小さな庭を見ていると、どうしてもそこに節子の姿が浮かんできます。
狭い庭に置かれているテーブルで撮った、闘病中の節子の写真が仏壇に置かれているのに、先日気づきました。
節子の笑顔がとてもよくて、いまも節子は彼岸でこうして笑顔でいるのかなとふと思いました。
節子の写真は、あまり見ないのですが、見てしまうとその写真がどうしても残ってしまいます。
だから写真はできるだけ見ないようにしています。
しかし、ふと見てしまうと眼が離せなくなることがあります。
涙さえでてしまう。
困ったものです。

眩しいくらいの日差しを浴びた暖かそうな庭のテーブルに、節子が座っているような気がしてきました。
節子が元気だった頃、なぜこのテーブルでもっと一緒にお茶を飲まなかったのでしょうか。

お互いに元気だった頃、なぜもっと一緒にゆったりした時間を過ごさなかったのだろうかと時々、不思議に思います。
私の記憶から抜け出てしまっているのかもしれませんが、節子とゆっくりと過ごしたことがあまり思い出せません。
いつも何かをしていた。お互いにいつも忙しそうでした。
今ほどの心の余裕があれば、私たちの人生は大きく変わっていたでしょう。
節子もまだ元気だったかもしれない。

しかしこれが人生なのでしょう。
今日はこれから湯島に出かけます。
節子と長年やっていたオープンサロンの日です。
庭のテーブルで、見えない節子と一緒に珈琲を飲むのは、またにしましょう。

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