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2014/03/27

■節子への挽歌2390:死から学ぶことの大切さ

節子
「自殺に追い込まれることのない社会」をテーマにした2回目の話し合いを開催しました。
今回のテーマは、「家族関係と人間関係」でした。
重いテーマなので、明るく話したかったのですが、ご自分の体験を話す方もいて、やはりどうしてもいつものようには話を進めることができませんでした。

問題提起をしてくださった僧侶の中下大樹さんの話は、心に重く響きました。
中下さんからは、前からお聞きしていたことですが、改めていろいろと考えさせられました。

中下さんは、自殺や孤立死で亡くなった方に立ち会うという活動を続けています。
もう2000人を超えているかもしれません。
誠心誠意、そうした活動に取り組んでいる姿勢に、頭が下がります。
自殺の問題に関わりだしてから、さまざまな人に出会っていますが、中下さんは、私には突出しているような気がします。
まだ30代だと思いますが、尊敬すべき人です。

その中下さんが、こういうのです。

私は自殺者の死に顔を数えきれないほど見ていますが、ホッとしたような、今までの苦しみから解放されたような顔を結構、多く見てきました。
その顔を見ていると、自殺が必ずしも悪とは言い切れなくなってきました。
この文章だけ取り出すと誤解されるかもしれませんが、中下さんの誠実な活動の積み重ねの上での言葉であることを思うと、中下さんの心情がわかる気がします。
私は、このメールを読んで、節子のことを思い出しました。
たしかに節子もまた、ホッとしたような表情を感じさせていました。

死とはいったい何のか。
中下さんは、こう言います。

私たち一般人が死をタブー視する限り、死は隠蔽され続けます。
死から学ぶという観点が、今の時代に欠けている点も無視出来ません。
同感です。
だから、私もこの数年、自殺を明るく語る活動をしているのです。
「明るく語る」ということに拒否感をもたれる方もいます。
しかし、死は明るく語りたい。深い悲しみを持って、ですが。

自殺は特別なのか。
自死遺族の人たちとの付き合いも数名あります。
たしかに「自殺」は病死や事故死よりも、語りにくいかもしれません。
私も、自死遺族の人と話す時、最初はとても気を遣いました。
しかし、自死遺族が特別な存在だとは、いまは思っていません。
たとえ病死でも事故死でも、喪失体験は同じです。
そして、死から学ぶという点でも通ずるところは少なくない。
そう思います。

節子と死別してから、私も多くのことを学びました。
この6年半、ずっと学んできたといってもいいでしょう。
だから、中下さんの言葉には、とても共感できます。

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