■自殺する権利と生きる責任
このブログでも書きましたが、12日に「会社で働く人の自殺」をテーマに、話し合いの場を持ちます。その準備会を4回ほど開催していますが、私自身はそういう準備会でたくさんのことを気づかせてもらっています。
先週も開催しましたが、そこで「自殺する権利」が話題になりました。
これは時々話題になる話です。
私はこの5年ほど、自殺のない社会づくりネットワークの事務局を引き受けていますが、自殺防止よりも、自殺に追い込まれる人がいるような社会のあり方や私たちの生き方に関心があります。
ですから、自殺する権利に関しても、否定する気にはなれません。
しかし、自殺することで、周りにいるどれほどの人が影響を受けるかを考えれば、「生きる責任」の方が優先するのではないかと思っています。
今日、知り合いの若い僧侶からメールが来ました。
そこにこんな文章がありました。
私は自殺者の死に顔を数えきれないほど見ていますが、多くは、ホッとしたような、今までの苦しみから解放されたような顔を結構、多く見てきました。この言葉は実に説得力があります。
その顔を見ていると、自殺が必ずしも悪とは言い切れなくなってきました。
今月は毎年、自殺防止月間なので、各地で自殺対策のイベントが開催されています。
講演会も多いのですが、私はそうしたものに違和感を持っています。
その違和感から、講演会ではなく、参加した人が自分の問題として話し合う場を毎年開いてきましたが、なかなか実行していく仲間が増えません。
「自殺」ということを、当事者として考えることは、それなりに重いからかもしれません。
メールをくれた僧侶は、こうつづけています。
人はひとりで生きているのではなく、様々な関係の中で生きていると言われますが、それは万人に通用する言葉ではなくなってきていることを痛感しています。全く同感です。
(中略)
そして、私たち一般人が死をタブー視する限り、死は隠蔽され続けます。死から学ぶという観点が、今の時代に欠けている点も無視出来ません。
高齢化社会がますます進む現代。今を生きる日本人の死生観そのものが問われて
いると、私は思っています。
自死遺族の友人は、自死ということがもっと抵抗なく話し合える社会にしたいと活動していますが、彼女の思いも通じています。
12日の集まりが、会社の中で、「自殺問題」が隠されることなく、話せる状況への一歩になればと思っています。
なお、この僧侶の方にも参加していただく、ラウンドセッションを3月22日に予定しています。
近々、このブログでもご案内しますので、よかったら参加してください。
また、彼からのメールに、次のブログの紹介がありました。
彼の知人が、友人が(大学時代に)自殺したことについて書いたブログです。
最後の数行に涙が出ました。
http://apartment-home.net/column/201206-201207/%E8%87%AA%E6%AE%BA%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/
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