■節子への挽歌2393:夢がない生き方は誠実ではありません
節子
昨日は節子が逝ってしまってから出会った人と会っていました。
彼が相談に来たのです。
彼は元山口組の人です。
いまは堅気になって、とても誠実な生き方をしています。
彼は「男前」に生きることを大事にしていますので、人の前では弱みは見せません。
嘘をつくわけではありませんが、弱音を吐きません。
昨日も彼にも話しましたが、そこが私たちの共通点であり、違うところです。
つまり嘘をつかない点では同じなのですが、本当のこと(弱み)も吐き出してしまうかどうかが違うのです。
もっとも、彼と付き合っていると、言わなくとも「弱み」は見えてきます。
だからそれとなく彼のところに会いにいったのですが、今度は彼が相談に来たわけです。
そして、いまは私には弱みを見せてくれるようになりました。
弱みを見せられるようになれば、人は強くなれます。
それに、実際に、弱みはどんなに隠そうと周りには見えているものです。
ただ、だれもそれに気づかないようにしているだけです。
そういう生き方はつかれるでしょう。
私にはできません。
彼も、勢いのあった時代はいろんな人が寄ってきていたはずです。
いろんな人も助けてきたはずです。
しかし、助けたからといって、立場が逆になった時に助けてくれる人は多くはありません。
彼は、そういう生き方を「ずるい」と言います。
私は、「ずるい」ではなく「哀しい生き方」だと思うと、話しました。
そういう生き方をしていない彼が、私は好きです。
半端ではなく苦労して生きてきた彼には、裏切られた体験は少なくないでしょう。
強い人には、人は集まりますが、弱い人には集まりません。
だからこそ彼は弱みを見せなくなったのかもしれません。
私も同じ体験をしています。
しかし、私の場合は、弱みを見せることこそが、人の繋がりを育てると考えていますので、いまもって、みっともないと思われるほど、弱みを見せつづけています。
もちろん見せたくて見せているわけではありません。
私も「いいかっこう」をしたくなり、しようとすることはしばしばあります。
にもかかわらず、自らの弱さが半端でないので、ついつい弱音を吐いてしまうだけの話です。
人には、それぞれの生き方があり、それはなかなか変えられるものではありません。
昨日、彼とは家族の話もし、生き方の話もしました。
彼が今の厳しい状況を頑張っていられるのは、夢があることだと知りました。
とても素晴らしい夢です。
夢は応援しなければいけません。
そう思いながら、ハッと気づきました。
私自身の夢はもうないのだろうか、と。
やはり夢のない生き方は、誠実ではありません。
そのことに昨日気づきました。
苦労して汗して生きている人と話すと、たくさんのことを教えてもらいます。
そのお礼に、私も少しだけ彼の役に立つことができました。
夢のない「生」は、もしかしたら「生」とはいえないのかもしれません。
彼を見習って、もっと誠実に生きなければいけません。
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