■袴田事件の奥にあるもの
袴田事件の再審が決定しました。
それに関して2つのことを思いました。
まず心に響いたのが、拘置停止を決行した村山裁判長が話した、「これ以上拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する」という言葉です。
村山さんは、職権で拘置を続けるようとした地裁の動きを阻止しました。
日本の裁判所への信頼を失って久しい私には、とても感動的な言動でした。
その一方で、地裁や検察の反応には、昨日書いた「一つの見方の呪縛」を感じます。
もうひとつ強く感じたのは、マスコミの白々しさです。
報道ステーションの古館さんも神妙な表情で話していましたが、自分たちの役割を放棄しておいて、なにをいまさら白々しくという思いがどうしても捨てられません。
ほとんどすべてのコメンテーターやキャスターにも、同じ思いを持っています。
再審が決定されたから、袴田被告を袴田さんと呼ぶことにしたというマスコミの姿勢も、とても嫌な気がしますが、彼らの権力依存に吐き気がします。
もし本当に、袴田さんの冤罪を信ずるのであれば、同じような冤罪に苦しむ人たちを徹底的に調査すべきでしょう。
マスコミには、その能力があるのですから。
権力が冤罪だとほぼ認めたことだけを取り上げてほしくはありません。
マスコミが、そうしたことを全くやってきていないというわけではありません。
さまざまな番組で、これまでもかなりとりあげられてきています。
しかし、ニュースとして採りあげるのではなく、構造として採りあげなければ、事態は変わりません。
それはたぶんテレビ局や新聞社でも1社では難しいでしょう。
コメンテーター一人では難しいかもしれません。
社会運動を起こしていく必要があるかもしれません。
袴田事件の奥にあるものこそが、問題なのです。
そうしてこそ初めて、「耐え難いほど正義に反する」ことが起きないような社会が生まれていくはずです。
今回のことを、週刊誌ネタで終わらせないようにしないといけません。
少なくとも、いつか自分にも「耐え難いほど正義に反する」ことがおそってくるかもしれないという当事者意識を持ちたいと思います。
日本の司法改革は、まずはこうしたことから取り組むべきでした。
それがない制度改革は、むしろ問題の本質を見えなくさせています。
それが私が司法改革に違和感を持つ理由です。
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