■人類を統合する思想
2年前に、エントロピー学会誌「えんとろぴい」に掲載されていた、山内友三郎さんの「人類を統合する思想は可能だろうか」という論考を読み直しました。
山内さんは、同誌に、数年前から「環境倫理覚書」を連続して発表しています。
幅広い視野からの論考なので、教えられることが多く、いつも読ませてもらっています。
今回、思い出して読み直したのは、先週、お会いした向坂さんが、最近は「世界観」をもたない人が多いと嘆いていたからです。
「世界観」とは、世界をどう捉えるかということですが、大切なのは、その捉え方の基本となる視点といっていいでしょう。
たとえば、神の視点で世界を捉えるか、仏の視点で世界を捉えるかは、大きな違いがあります。
さらに、人の視点で捉えるとまた違ってきますし、その「人」の捉え方もさまざまです。
私は一神教の世界観にはなじめませんが、現実の世界は一神教を信仰する人も多く、なじめないからといって、拒否することはできません。
それに一神教を信仰しているからといって、友人関係に支障が起こるわけではありません。
先週も、キリスト教の洗礼を受けたことによって人生を豊かにした友人とも会いましたが、共感しあえることが多かったです。
ところで、山内さんは、一神教には厳しい見方をしています。
この思想は、人類に普遍的に当てはまると見倣されていて、論理的で緊密な一枚岩的な体系を誇り、他の思想と妥協せず、その一部が正しく一部が間違いということを認めないから、他の思想と折衷・融合することが不可能になる。キリスト教・ユダヤ教・イスラム教は、現代に至っても死闘を繰りかえしている点では、他にどんな長所を持とうが、世界に平和をもたらして緑を回復するという点では失格である。では、キリスト教的近代思想と「草木国土悉有仏性」と考える東洋思想とは共存できるのか。山内さんは「できる」と言います。
そして、そのために、世界観の基本になる価値観の三層構造を提案しています。
レベル1:人間生存の土台になる自然との共生を支える「全体論」
レベル2:社会幸福を目指す「ヒューマニズム」
レベル3:実際に生活のよりどころとしての「制度と教え」
西洋近代の倫理学、特に20世紀の主流となった倫理学は、レベル2の上に構築されていますが、これからはレベル1から考えなければいけないと、山内さんは書いています。
まさに、このレベル1の全体論(エコロジー)が「世界観」ではないかと思います。
こうした話は、抽象的に聞こえるかもしれませんが、発想の転換を私たちに求めます。
日常の行動にも深くつながってくるはずです。
たとえば、原発問題の位置づけなどは、明らかに変わるでしょう。
世界観などというと、難しくなりますが、要は、生きるうえで、何を一番大事にするかです。
一人ひとりが、生き方を問い直す時期にきているように思います。
25年前から、私は自らの生き方を変えてきましたが、まだまだ変えきれずにいますが。
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