■3.11と3.14
3年目の3.11です。
当然のことですが、3.11といえば、東日本大震災であり、地震と津波によりたくさんの人が人生を大きく変えてしまった日です。
いまだ避難者が26万人もいて、しかも現地の仮設住宅でも10万人を超える人たちが生活されています。
3年間の仮設住宅暮らしで、病気を悪化させた人も多いでしょう。
復興は、なかなか進んでいないようです。
被災された方々の無念さに心が痛みます。
それを踏まえての、私の違和感です。
大きくは2つあります。
ひとつは、被災者の語りや暮らし、現地でのさまざまなイベントの報道に対する違和感です。
どうしても私にはピンと来ないのです。
被災者のお話は見ていて辛くなるほど悲しいし、心にも響くのですが、いつもどこかに違和感があります。
具体的に書くと誤解されそうなので、今回は控えます。
読んだ人に不快感を与えかねませんし、たぶんたくさんのお叱りを受けるだろうからです。
この問題に関しては、私自身、非難に耐えられる自信がありません。
それに、ともかく辛い話ばかりで、それ自身に違和感があるわけではないからです。
私の違和感は、あくまでも「報道姿勢」です。
ついでに非難されるのを覚悟で言えば、各地での追悼イベントにも大きな違和感があります。
もちろん追悼はとても大事なことで、私も今朝、ささやかに心を込めて、思いを馳せました。
ふたつ目の違和感は、津波の被災者のわかりやすさのせいか、福島原発事故の被災者が見えにくくなっていることです。
隠されているとは言いませんが、原発事故のその後や被曝の報道が少ないのが気になります。
今朝の朝日新聞も、ほとんどが津波被災の話です。
福島のことはほとんどでていません。
唯一の救いは、『東北を「植民地」にするな』と題した、東北復興取材センター長の坪井ゆずるさんのメッセージです。
記名によるこのメッセージは、報道姿勢への自分への怒りも含意されているように感じました。
多くの人に読んでほしいメッセージです。
福島における原発事故被災の報道は少ないだけでなく、全体像が見えにくいです。
その背後に、どうしても私は「意図」を感じてしまいます。
そもそも地震や津波と原発事故は、全く異質なものです。
3.11の中には、そのいずれもが入るのでしょうか。
入れてしまえば、見えやすく報道しやすい津波被災の背後に、福島原発事故が隠されてしまいかねません。
それが私には気になります。
福島原発3号機の爆発が14日でしたが、3.11とは別に3.14を私たちはもっと意識すべきではないかと思います。
14日の爆発は水素爆発ではなくて、核爆発だったという意見もあります。
しかし、そうしたことをきちんと調べることも、事実情報を開示することもなく、3.14は忘れられようとしています。
東日本大震災の自然災害が、原発事故という人災を覆い隠すことが恐ろしいです。
原発とは何なのか、福島の被災者たちの声こそ報道すべきです。
そして、自分の生き方を問いただすことです。
それが伴わない追悼には、私は全く興味をもてません。
追悼とは、過去のためのものではありません。
現在の生き方を問うとともに、未来の子どもたちへの責任も果たしたいと思います。
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