■ベビーシッター事件で思うこと
ベビーシッターに預けた子どもが死亡するという、痛ましい事件が起きました。
これに伴い、いろんな指摘がでています。
それぞれがもっともな意見です。
ただ私が思うのは、ただひとつです。
乳幼児を見ず知らずの人にお金と引き替えに預けなければいけないような社会は、おかしい。念のためにいえば、今回、子どもを預けた母親を非難しているのではありません。
彼女にそうさせてしまった社会のあり方や私たちの生き方に疑問を呈しているのです。
そのおかしさが問われださなければ、結局は何も変わらないのではないかという気がしてなりません。
不都合な状況(社会問題)が生まれたら、それを解決するビジネスが生まれます。
それがコミュニティビジネスとかソーシャルビジネスといわれることもあります。
たしかに、困っている人の救いになるでしょう。
しかし、それでいいのでしょうか。
近代における産業のコンセプトは、問題解決です。
それは当初、大きな効果を発揮しました。
しかし、だんだんと行き過ぎてきたような気がします。
問題解決を基本とするビジネスは、持続可能です。
常に新しい問題を生み出せばいいからです。
そこで、市場創造とか顧客創造が経営のポイントになりました。
でも、それはどう考えてもおかしい。
創造すべきは、顧客や市場ではなく、価値でしょう。
私は、それを「産業のジレンマ」と呼びました。
問題解決するべきビジネスが、どこかで問題創出へと向いかねないのです。
そうした背景の中で、乳幼児を預けてまで金銭収入のための仕事をしなければいけない人が増えています。
彼女たちを働かせて金銭的な利益を得ている人たちがいるのです。
子育て支援のための制度や施設を整備してほしいと、多くの母親たちは言います。
そこにも大きな違和感があります。
子どもにとって、一番大切な子育て支援は、親たちが子どもと一緒にいられる状況づくりだろうと思うのです。
そして、それはその気になれば、お金もかけずにできることかもしれません。
私たちの生き方を変えればいいだけですから。
もちろん、すぐにというわけではありません。
地域社会を壊し家族を壊してきた文化を変えるためには、30年はかかるでしょう。
しかし、30年などはあっという間です。
今月から、「自殺に追い込まれることのない社会」を目指して話し合う連続セッションを始めました。
これもこうした考えからです。
問題は、自殺そのものにあるのではなく、自殺までしてしまうような状況に人を追い込む社会のあり方です。
さまざまな事件が起こりますが、それらの多くは、社会のあり方、つまり私たちの生き方に起因しています。
どこかで大きく考え方の基本にある基準を問い直す時期に来ているように思います。
今度の土曜日の22日に、家族関係や人間関係の破綻を切り口に、自殺に追い込まれることのない社会をテーマに話し合う場を持ちます。
よかったら参加してください。
まだ数人、余裕があります。
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