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2014/03/02

■節子への挽歌2373:人にとっての生きる「縁(よすが)」

節子
冬に舞い戻ってしまったような寒さです。
寒い時には、いささか哲学がふさわしい。
早く目が覚めてしまいましたし。

改めて最近また、生きるとは何だろうかと思うことがあります。
明日のために生きているのではなく、いま生きていることそれ自体に意味があるのであれば、刹那的に生きればいいわけですが、明日があればこそ、いま生きていることの意味があるというほうが説得力があります。
未来の展望がないから、生きる喜びを見出せないと、人はよく言いますし、私自身もそう思います。
だとしたら、今に意味があるのではなく、明日にこそ意味があることになる。
しかし、その「明日」は、必ず来るとはかぎらない。
にもかかわらず、明日を生きる縁(よすが)にするのは、どこか矛盾しています。
しかし、現実ではない明日が生きる縁(よすが)であればこそ、どんな現実も受け入れられることも事実です。
そういう意味では、「明日」とは時間的な明日ではなく、「生きる意味」かもしれません。

草庵にこもった、たとえば法頂師は、どう生きたのでしょうか。
時折、山を降りて話をしたそうですが、なぜ話をしたのでしょうか。
日本の有名な高僧の話もお聞きしたことがあります。
私の関心事は、話の内容ではなく、なぜ彼らは話をするのだろうかということでした。
その答えは、いまも見つかっていません。

「明日」の代わりに、「他者」を置いてみましょう。
人は「他者」のために生きているのかもしれません。
「明日」は、今の自分にとっては、「他者」といってもいいでしょう。
とすれば、人にとっての生きる縁(よすが)は、「他者」ということになる。
「他者」が生きる縁(よすが)であれば、他者に法を説く高僧やイエスも理解できます。
しかし、他者を自らが生きるための縁(よすが)にするのは、やはりなじめません。
他者を手段として扱ってはならないという、カントの定言にも反します。

ひとつの解決策は、「他者」と「自己」の捉え方かもしれません。
生きるとは、自己と他者を超え、時間を越えた、「無為」なのかもしれません。
つまり、生きることとは、まさに「空」なのです。
だから実態がなく、問うてもなにも見つからない。
寒さのせいか、それが今日の結論です。

寒暖差のない彼岸には、哲学など不要なのでしょうね。
早く私も彼岸の平安に、身を任せたいです。
現世で生きることは、それなりに気力を求めます。
それに、今朝の寒さは、心身にこたえます。

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